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KIBOGAOKA CHURCH
横浜市旭区にあるプロテスタントのキリスト教会です
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0828先週の講壇_ヨハネによる福音書 9 章 24-34 節 「 どちらが霊的な目が見えない人なのか 」
牧師 松矢龍造 ユダヤ人の指導者たちは、物乞いであり生まれつき目が見えなかった人を、もう一度呼び出して 、 キリストについて問いました。他の人にキリストのことを話すために、答えを全て知っている必要はありません。キリストが、あなたの人生を、どのように変えてくださったのか、それ...
2022年8月31日


0821_先週の講壇_ヨハネによる福音書 9 章 13 23 節 「 霊の目を開けてくださるお方 」
牧師 松矢龍造 イエス様が 、 生まれながら目が見えない人に対して、 土をこねて目を開けられたのは安息日のことでした。父なる神様が、安息日には仕事を休んで、礼拝を捧げよと言われた際に、神様が決して、憐れみや思いやりの行為まで禁ずるために、安息日を定めたわけではありません。で...
2022年8月20日


先月の講壇7.27 コロサイの信徒への手紙3章16~19節
牧師 松矢龍造 前半 3 章 16-17 節「キリストの言葉と感謝と讃美」御言葉と感謝と讃美とは、一方では、教 会という共同体の行為である礼拝を意味します。また他方においては、日常のあらゆる面と活動において、キリストをあがめることを意味します。何を話し、...
2022年8月20日


0731_先週の講壇_ヨハネによる福音書 8 章 48~59 節 「 主イエス様は永遠なる神様 」
牧師 松矢龍造 ユダヤ人たちは、イエス様を重んじませんでした。重んじないと訳された原文の言葉は「正当な価値を認めない」「はずかしめる」「面目をうしなわせる」「あなどる」「侮辱する」「軽蔑する」という意味でもあります。 逆に...
2022年8月3日


0724先週の講壇_ヨハネによる福音書 8 章 31~47 節 「 真理であるキリストが、あなたを自由にする 」
松矢龍造 牧師 自由だと表面的に思っていても、 霊魂が不自由なら、本当に自由とはいえません。 今日の御言葉では、三つの対照的な概念が展開されています。真理と偽り、奴隷と自由、神から出た者と悪魔から出た者です。 イエス様にとどまるとは、キリストの教えの中に身を置きキリストから...
2022年8月3日


0717先月NGWの講壇_使徒言行録 8 章 4 節 「 迫害によって拡大する福音 」
松矢龍造 牧師 皆さんは、イエス様を信じていることによって、いじめられたり、苦しめられたり、しいたげられたり、プレッシャー・圧力をかけられたことがありますか。宗教、政治、人種が理由で苦しみを受けることを、迫害といいます。迫害を受けて、いじめられることは、うれしくないし喜ばし...
2022年8月3日


0710先週の講壇_ヨハネによる福音書 8 章 21-30 節 「 罪赦されて天の御国に行ける人
牧師 松矢龍造 今日の御言葉には三度「自分の罪のうちに死ぬ」と言われています。イエス様は、上から来られた方ですが、へりくだって、私たちの罪をその身に負われました。このイエス様の御前で自分を低くしない自分の方が上だと思っていたファリサイ派の人々は、まさに死にかけている人々でし...
2022年7月9日


0703先週の講壇_ヨハネによる福音書 8 章 12-20 節 「 主イエス様は世の光です 」
牧師 松矢龍造 イエス様が「私は世の光である」というのは、偉大な宣言です。この世には、罪と死と悪魔と虚無という暗闇があります。私たちの内にも闇があります。さらにこの世には、無知と生きる目的の喪失と言う闇があります。世の光なるイエス様を離れていては、人生の道筋を照らす真の光は...
2022年7月9日


0626先週の講壇_ヨハネによる福音書 7 章 53 節 8 章 11 節 「 さばきと憐れみ 」
牧師 松矢龍造 人をさばき 自分が上だと思うことは甘い蜜であり 、 一度それをすると、その甘い蜜を求め続 けます。堕落した人間の弱さと罪の姿です。しかし自分に罪がある者は、本来、他の人を非難し、さばくべきではありません。むしろ、人をさばくことで、自分を罪に定めてしまうことに...
2022年6月27日


0619先週の講壇_ヨハネによる福音書 7 章 37 52 節 「 生きた御聖霊の水の流れ」
牧師 松矢龍造 あ る方が、人生の晩年ま で 、世の哲学をもって魂の飢えを満たそうとしてきました が 得られませんでした。そしてイエス様と出合い、初めて魂と霊の癒しを受けることが出来ましたと洗礼をお受けになられました。 主イエス様は、仮庵祭が最も盛大に祝われる終わりの日にな...
2022年6月27日


0612先週の講壇_使徒言行録 2 章 1~21 節、41~47 節「ご聖霊による教会の誕生」
牧師 松矢龍造 ペンテコステ・ご聖霊の降臨おめでとうございます。そして希望が丘教会の創立 60 周年記念 礼拝として、宣教の主イエス・キリストの父なる神様に感謝致します。71 年前、希望ヶ丘在住 であり高座教会の教会員であった石橋宅で家庭集会と教会学校の分校がスタートし、1...
2022年6月9日


0605先週の講壇_ヨハネ福音書7章25~36節「父なる神様のもとから遣わされた神の御子 」
牧師 松矢龍造 イエス・キリストが、どのようなお方であるか。その結論は、永遠の結果をもたらします。憶測や偏見ではなく、聖書を読み探求して判断することが大切です。 今日の御言葉では、 エルサレムの人々は、憶測と偏見の中にあったことが分かります。そしてナザレにいたヨセフの子イエ...
2022年6月4日


0529先週の講壇_ヨハネ福音書7 章14~24 節「主イエス様の御言葉の真実性」
牧師 松矢龍造 じられないという面と、信じないと知ることが出来ないという二つです。加えてこの世に愛や同情がない批判くらい、人を誤らせるものはないでしょう。同じように主イエス様が、どのような方であるか。早急に判断してはなりません。またうわべだけ裁いてもなりません。聖書66...
2022年6月4日


0522_先週の講壇_ヨハネ福音書7 章1~13 節 「人の時でなく神様の時」
牧師 松矢龍造 神の御子イエス様の真のメシア性は、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり復活されることにおいて示されます。そしていつ十字架にかかり死にて葬られ三日目に復活されるかは、神様の時がありました。イエス様は、迫害や危険を恐れて、エルサレムのある南のユダヤ地方を巡...
2022年6月4日


0515_先週の講壇_ヨハネ福音書6 章60~71 節 「ふるいにかけられる弟子たち」
牧師 松矢龍造 イエス様が十字架に向かわれる中で、弟子たちは、ふるいにかけられ、離れて行く弟子と留まる弟子に分かれてゆきます。イエス様が「キリストの肉を食べ、キリストの血を飲む」と言われた言葉に、つまずく弟子たちが出てきました。彼らはイエス様の言葉に対して、難解でおかしなこ...
2022年6月4日


0508先週の講壇_ヨハネ福音書6 章41~59 節「イエス様を霊的に食べるなら永遠に生きる」
牧師 松矢龍造 イエス様は、私を食べるなら永遠に生きると言われました。古代の著名なアウグスティヌスは「信じたということは、食したということである」と言っています。私たち人間にとって食べることや飲むことは、最も日常的で分かりやすい事です。それほどに、神の御子イエス様を私の救い...
2022年5月5日


0501先週の講壇_ヨハネ福音書6 章22~40 節「誤った探求者でなく真理と真実の探究者」
牧師 松矢龍造 イエス様は、ガリラヤ湖の東岸において男だけで5千人、女性や子どもたちを加えたなら約2万人をパンと魚で満たさせる奇跡を行われました。続いて湖の上を歩かれる奇跡をなさってカファルナウムに行かれました。この時、群衆が求めていたのは、ローマ帝国の植民地支配の中にいて...
2022年5月1日


0424先週の講壇_サムエル記上2 章1~10 節、ヨハネ福音書20 章1~18 節「陰府からの復活」
牧師 松矢龍造 この旧約聖書と新約聖書には、二人の女性が精神的な陰府の縁から復活するという内容が記 されています。旧約の女性は、預言者サムエルの母となりましたハンナという女性です。ハンナの祈りは、新約時代のイエス様の母マリアの賛歌に大きな影響を与えたとされています。ハンナに...
2022年5月1日


0417先週の講壇_ヨハネによる福音書6 章14~21 節「宇宙を創造された神の御子イエス様」
牧師 松矢龍造 ガリラヤ湖は海抜マイナス200mのところにあり、すり鉢状になった地形から、しばしば嵐によって海面が荒れました。主イエス様は、その夜に嵐が起こることを知っておられましたが、あえて弟子たちを舟で行くことを許されました。その嵐を最高度に利用する力がご自身にあること...
2022年4月17日


0410先週の講壇_ヨハネによる福音書6 章1~13 節「イエス様は天からの永遠の命のパン」
牧師 松矢龍造 ウクライナにロシア軍が侵攻して世界中が心を痛めています。国内に残り防戦する男性たち。国外に避難している女性や子どもたち。必要なのは、物理的なパンと共に平和と希望ではないでしょうか。かつて荒れ野をさ迷っていたイスラエル民に、主は物理的なパンと共に、御言葉による...
2022年4月7日
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