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0109先週の講壇_ガラテヤの信徒への手紙6 章1~10 節

「神の愛に生きる信仰の家族」


牧師 松矢龍造


神の家族としての交わりにおいて大切な点を、御言葉を通して受け留めてまいりましょう。第一は、互いに重荷を担い合うキリストの家族ということです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれればすべての部分が共に喜ぶのです」を御聖霊によって実践します。

第二に、神の家族としての特徴は、互いに罪を告白し合い、祈り合います。私たちは、日々

罪を犯さない日はありません。その際に、「主に癒して頂く為に、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい」とあります。自分の罪を、他の人に言うことは、実に恥ずかしく、自分に対する不信感を与えてしまうのではないかという恐れがあり、なかなか言いにくい時があります。

しかしそうせずに、神様だけに告白して祈ればよいと思って、互いに罪を告白して祈り合う機会をなしですませてしまう。もちろん、ある事柄に関しては、それでもよいものが建徳的である場合もあります。しかし他の人に罪を告白しない場合は、自問自答なってしまって、神様に祈っているようで、実は自分に言って、自分で赦しを与えてしまっているのではないでしょうか。宗教改革者の一人であるマルチン・ルターが指摘しているところです。

第三に、神の家族としての交わりには、十字架のもとにいる兄弟姉妹の喜怒哀楽を聴き、良

きものを引き出す為にも、聴くということが大切になります。交わりの専門家であるディー

トリッヒ・ボンヘッファーは、次のように言われています。「十字架のもとにいる兄弟姉妹のみが、私の罪の告白を聴くことが出来る。」「キリスト者は、キリストの十字架に日毎に真剣に関わることによって、人間的に他者を裁こうとする気持ちや、他者を必要上に大目に見るような態度を、捨て去ることができる。」私たちの交わりは、先ずキリストと交わり、愛と義を頂いて、裁かず、大目に見過ぎず、正しく聴く心の耳を養うことが必要となります。

第四に、神の家族の交わりにおいて、急進主義と妥協主義の拒絶を、キリストにあって目指

します。先のボンヘッファーが、次のようにも言われていました。「急進主義は、時間を憎み、妥協主義は、永遠を憎む。急進主義は、耐え忍ぶことを嫌い、妥協主義は、決断することを嫌う。急進主義は、賢さを嫌い、妥協主義は、単純さを嫌う。急進主義は、中庸を嫌い、妥協主義は、計ることのできないものを嫌う。急進主義は、現実にあるものを嫌い、妥協主義は、究極的な言葉を嫌います。」神の家族は、究極的な天の御国を望みながら、現実の生活における忠実な歩みの両方を、キリストにあって重んじてゆきます。

この年、隣人そして特に神様の家族に対して、御霊の実によって善を行う歩みを行って行き

ませんか。最後に教会標語をもう一度確認します。「神の愛に生きる信仰の家族」。

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