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0205先週の講壇_ヨハネによる福音書 16 章 25-33 節「 主イエス様は既に悪の世に勝っている 」

牧師 松 矢龍造

イエス様の十字架と復活後、全ての信者は父なる神様に自ら親しく直接、話をする新約的な

祭司とされています。そして父なる神様は、全てイエス様を信じる者たちを直接、愛される時代となっています。

預言者ならば「神のもとから出て」と言われますが「父のもとから出て」となっております。主イエス様が、永遠の父なる神様の永遠の御子であるからです。いわば主イエス様と父なる神様の一体性が示されています。

弟子たちは、ようやくイエス様が真に誰であるかを知ったのですがこれから起こるイエス様の苦難と死は、彼らの信仰と勇気を試すものとなります。弟子たちは、最初、苦難の中にいるイエス様の元から逃げてゆきます。そのことは、既に旧約聖書に預言されていました。弟子たちは、イエス様を見捨てて散らされる失敗を通して、逆に真の望みを神様に置くことが出来るようになってゆきます。主イエス様は、弟子たちの弱さをご存じでした。けれども、この上なく愛し抜かれるイエス様は、彼らの未熟な信仰の表明を受け入れられました。しかし私たちは、自分の言葉と生き方が、一致するように、弟子たち同様、成長してゆかなければなりません。イエス様は、弟子たちをはじめ全ての人が、自分を捨てて、ひとりになられます。けれど父なる神様が共にいてくださいます。同様に イエス様に故に、私たちと共にいて私たちを支えてくださいます。悪魔とその勢力に対して恐れず、どのような場合においても、大胆に勇猛に、この霊的な戦いを闘うべきです。

ここで世では苦難があると訳されている「苦難」とは圧迫、艱難、悩み、迫害という意味でもあります。他の聖書訳では、「患難、試練、困苦、挫折」と訳している聖書もあります。あらゆる時代あらゆる場所において、苦難に直面し信仰の懐疑に悩まされている者がいる限り、主 イエス様のこの訣別説教は恒久的な意味を持ち続けています。たとえ世から憎まれ追跡され迫害されいわれのない罪に問われ拷問にかけられる時ですら、平安を持つことが出来ます。主イエス様はカルバリの十字架において、世に打ち勝たれました。ですからキリスト者は、どんな患難があっても自分自身が勝利者の側についていることを確信すればよいのです。イエス様に既に悪の世に勝利されているからです。「世に勝つ」勝利を得る。打ち勝つ。打ち負かす。征服する。凌駕する。それが、キリストの十字架と復活です。

父なる神様に愛されている皆さん、キリストは、既に悪の世にうち勝たれています。御聖霊と信仰によって、この勝利を私たちのものとして、世に対して雄々しく歩んでいきませんか。

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