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0206先週の講壇_ ヨハネによる福音書3 章22~36 節「天から来られたキリスト」

牧師 松矢龍造


今日の御言葉は、バプテスマのヨハネが殉教する前に、最期に語ったキリスト証言です。バプテスマのヨハネは、終始、人々の目を、ただイエス様に向けようとしました。

ユダヤ人が、バプテスマのヨハネの弟子たちと論争したのは、イエス様一行とヨハネの一行を洗礼を巡って仲違いさせようと目論んでのことでした。彼らの意図が分かっていたヨハネは、わたしは「自分はメシアではなく、自分はあの方の前に遣わされた者だ」と言いました。本当の伝道は、私たちではなく、キリストに従うように人々を動かすことです。神の御国よりも、自分たちの業績を強調する人たちに用心することが必要です。

続いてヨハネは、結婚式のたとえをします。それはイスラエルの主なる神様と、その民なるイスラエルが結婚関係によってたとえられているように、イエス様と神の民に対する関係も、結婚に例えられることを言外に暗示させているのでしょう。そして言いました。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」「衰える」と訳された原文の言葉は、地位等をより低くする、あるいは、権威や評判を落として減じるという意味の言葉です。ヨハネが、喜んで自分の重要を減じさせたことは、並外れた謙虚さを示しています。ある方は、このヨハネの姿勢に関して「ヨハネの生涯は、この時を持ってその最高潮に達したのである」と言われています。イエス様は、ヨハネを高く評価して、自らの限界を知った偉大な先駆者ヨハネを尊敬して、「女から生まれた中で、最大のものである」と言われました。妬みなき人ヨハネ。イエス様に、すべての注目が集まっていることでヨハネは満足しました。このバプテスマのヨハネの信仰姿勢は、謙遜の霊の賜物を頂くことによります。私たちにも、このご聖霊の賜物に預かれますように。イエス様は、天におられたので、天で見られたこと、聞いたことを証しされるのは当然です。しかし天から来られたキリストの言葉を、世の多くは、その証しを受け入れないのです。イエス様には、ご聖霊の賜物が限りなく与えられ、無限の愛と神様の知恵と神様のお心そのものが、ご聖霊によって与えられました。キリストの福音を聴いた者たちには、決断の迫りがあります。選択を延ばすことは、キリストに従わないことでもあります。そして決断をしないことは、致命的な決断です。

主イエス様は、私たち人類への最高の神様の啓示です。また主イエス・キリストは神の御子であり、メシア・救い主であり、始めから存在して永遠に生き続けるお方です。そしてイエス様は永遠にご自身と共に生きるように、私たち一人ひとりを招いておられます。私たちは、天から来られたキリストをいつも注視して、私たちではなく人々がキリストを注目できるように、互いに愛し合うことが大切です。キリストの愛を受け入れて信じて救いを頂きませんか。そして互いにご聖霊によって愛し合いながら、天から来られたキリストのみを指し示してゆきませんか。

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