0216先週の講壇-コリントの信徒への手紙一 4 章 6-13 節「 神の言葉に書かれていることを越えない 」
- CPC K
- 3月22日
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牧師 松矢龍造
神の言葉である聖書は、人類の原則を何千年も示し続けています。この神様の言葉に書かれ
ていることを越えるなら、それが堕落となります。越えるなら争いや戦争となり、人類の歴史を蝕んできました。それは時に、この世の社会だけでなく教会の中にも、神の言葉なる聖書に書かれていることを越えてしまうこともあり得ます。列車はレールの上にあるなら安全に運行出来ますが、脱線すれば大惨事になります。
そもそも神様でなくパウロだ 、 アポロだ」と人間を担ぎ上げることこそ、神の言葉である聖書に記されていることを越えることです。詩編 115 編 1 節にはこうあります。「 わたしたちではなく、主よ 、 わたしたちではなく 、 あなたの御名こそ、栄え輝きますように 、 あなたの慈しみとまことによって。 」使徒パウロは、教会の中に、一方にくみして、他を見下すことが見られるので、その高慢を正す目的で今日の御言葉を記しています。
このような高ぶりに陥ることがないようにするためには、どうすればよろしいでしょうか。
第一に、働き人は、競争者ではなく、共に神様に召された協力者と弁えます。第二に、最も深い忠義はキリストのみに向けられるべきであり、代理人の誰かに向けられるべきではありません。第三に、私たちは自分を導いた霊的な指導者を慕ってしまう時があるでしょう。しかし教会に分裂を引き起こすほどに、人間の指導者を誇りにしてはならないということです。第四に、自己満足に陥ってはならないということです。第五に、主は、あたえて地上において迫害を許されて、私たち信徒を練りきよめてくださることを覚えます。第六に、誰でも敬虔に、信心深く歩むなら、かならず神様に逆らう世から迫害に遭います。もし迫害がないなら、この世と同じ歩みをしているからではないでしょうか。第七に、キリストが示され、使徒たちもそれに従ったように、常に主の僕として生きることです 。キリストも、父なる神様に聴き従うこと の中で、主の僕として歩まれました。父なる神様の御前に謙遜をもって生涯をまっとうし、使徒たちも、この主イエス様に倣いました。それは私たちキリストを信じる教会も同じです。使徒パウロは、コリント教会の高ぶりと対照的に、自分たちの低さを述べています。それは今は、救いの完成を得ているように有頂天になる時ではないことをはっきりさせています。
私たちも、神の言葉なる聖書に書かれていることを越えないように、絶えず静まり、御言葉
に基づいて、個と共同体を、御聖霊よって吟味して行きませんか。そして 勝利者なるイエス様を心に迎え入れ、神様の御言葉である聖書に記されていることを越えないように、ご聖霊の導きに従って、この世の成功者ではなく、神の国の勝利者となって行きませんか。
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