0309先週の講壇-コリントの信徒への手紙一 5 章 9-13 節 「 教会とこの世 」 牧師 松矢龍造
- CPC K
- 3月22日
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牧師 松矢龍造
私たちが子どもとなって家族籍の中に入りますと、通常は喜びの中で迎えられます。しかし
子どもが成長するにつれ、励ましと共に、時に諭の両方が必要となります。使徒パウロはコリント教会の信仰と霊的な産みの親として、信仰をもったコリント教会の霊的な子どもたちに対して、励ましと共に、諭し をもって臨んでいます。
未だにイエス様を信じていない人たちも 皆、創造主なる神様によって造られ、 堕落していても、なおその存在が愛されています。原罪と自由意志に よって 罪を犯していますが、なお主イエス様が捜して救い出したい一人ひとりです。ですから、すべての人々に対してキリストの福音を証しする為には交際する必要があります。ただし、もし証しする人々が、 接する相手から悪しき影響を受ける段階なら、それら悪しき影響を及ぼす人々から 、その時は遠ざかる必要があります。そしてもし証しする側が 整えられ力を受けて、良き感化を与えることが出来る状態なら接することが大切になります。その見極めは、ご聖霊の助けが必要となります。
使徒パウロが交際してはならないと言ったのは、むしろ教会内のクリスチャンで信徒である
人でありながら、様々な罪を悔い改めずに繰り返している人のことです。淫らな者、酒に溺れる者とは自分自身に対して罪を犯している者のことです。また強欲な者、人を悪く言う者、人の物を奪う者とは、私たちの隣人や同胞に対して罪を犯している者です。そして偶像を礼拝する者とは、唯一の主なる神様に対して罪を犯している者のことです。訓練規定の目的は、その人が真に悔い改めに至る為であり、教会共同体に悪しき影響が及んで行かない為であり、神様の御名が汚されない為です。教会は、愛のうちに、そのような人と向き合い、祈り、御言葉に基づいて訓練する必要があります。その為には、その人たちと、教会員がつきあうな、あるいは一緒に食事をするな、いわば一定の距離を置く場合があります。外部の人々とは、クリスチャンでなく、教会員でない人々のことですが、それらの人々は、神様が審判されます。教会が扱う人々は、内部の人々、クリスチャンであり信徒であり教会員のことです。コリント教会の中で、不品行をなした教会の信徒は、教会訓練を通して悔い改めの実を結んだことが、第二の手紙によって分かります。しかしあくまでも悔い改めの実を結ばないなら、使徒パウロは自分の命令は、教会の中の罪深い人々を処罰して、教会の交わりから追放することだと明言します。
外部の人の裁きは神様に委ね、内部の人への諭しは、神の家族である教会の義務です。使徒
パウロの目的は、破壊ではなく悔い改めと教会のきよめでした。教会の内と外を分け、しかも教会を、この世界から隔離せず、復活の主イエス様によって与えられた大弟子化命令、すなわち大宣教命令に、御聖霊によってお従い出来ますように。
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