0507先週の講壇_ヨハネによる福音書 19 章 38-42 節「 キリストの墓は 聖墳墓教会へ 」
- CPC K
- 2023年5月17日
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牧師 松矢龍造
通常、十字架で処刑された者は、そうした犯罪人を葬る墓に納められます。しかしイエス様は犯罪人の墓には、葬られませんでした。アリマタヤのヨセフは、イエス様の遺体を取り降ろしたいと願い出ることは、自らをユダヤ教や議員から除名されたり、迫害を受けたり、暴行を受ける危険に身を晒すことを意味していました。十字架に処せられた者を、親類縁者ではないアリマタヤのヨセフに引き渡したのは、ピラトがイエス様の無罪を確信していた証拠でしょう。今まで、ユダヤ人たちを恐れて、キリストの弟子あることを公に出来なかったアリマタヤのヨセフです。しかしイエス様の十字架の死を通して、イエス様の犠牲と愛に触れて自分自身は、この先どのような目にあってもよいと、献身の思いを表明したのです。イエス様に、霊的に出会った人たちは、イエス様の為に感謝と献身を表してゆきます。ヨセフと同様ニコデモも、 ユダヤ人を恐れてイエス様の弟子である信仰を隠してきました。「ある夜」と記されているのは、そのことを表しています。二人の行動は、ユダヤ人たちの判断や、その罪から、はっきりと訣別する勇気ある行動でした。しかしイエス様が、生前、大衆に仕えておられた頃に、排斥された主の側につこうとしなかったことが悔やまれます。ぐずぐずしていたことによって、この二人は、生前にキリストとの尊い霊的な交わりを、どれほど多く失ったことでしょうか。実に残念です。遺体は通常、亜麻布で包まれました。そして芳しい香料や軟膏が塗られることもありました。死体の顔には、布がかけられました。33 ㎏の香料が塗られたのですから、そうとう手厚い葬りの為の準備となったことでしょう。それらはイエス様の十字架による、犠牲の愛に迫られての奉仕でした。キリストの生と死と復活とは、人類の歴史の上に、絶大な転機となりました。そしてキリストにあって死にて葬られたキリスト者の墓は、永遠の命に至る門と見なされます。十字架に付けられたイエス様の姿をまのあたりにして、信仰を告白した者たちは、少なくても四人いました。先ず十字架に共につけられた犯罪人のうちの一人です。二人目は、ローマの百人隊長です。そしてアリマタヤのヨセフとニコデモの四人です。ヨセフとニコデモのように、隠れた弟子たちが、この希望が丘の街にも、私たちが遣わされ置かれている場所の隣人の中にも、いるのではないでしょうか。私たちも主の十字架の愛に迫られ、ご聖霊によって勇気ある、愛と犠牲の行動をしてゆきませんか。そして十字架と復活の主イエス様の、生ける証人とされてゆきましょう。
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