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0515_先週の講壇_ヨハネ福音書6 章60~71 節 「ふるいにかけられる弟子たち」

牧師 松矢龍造

イエス様が十字架に向かわれる中で、弟子たちは、ふるいにかけられ、離れて行く弟子と留まる弟子に分かれてゆきます。イエス様が「キリストの肉を食べ、キリストの血を飲む」と言われた言葉に、つまずく弟子たちが出てきました。彼らはイエス様の言葉に対して、難解でおかしなことであり不快感を覚えました。彼らはすでにイエス様の弟子として、主イエス様に従った者たちでした。しかし肉につける者たちでイエス様が言われた霊的な奥義を理解できませんでした。

食べ飲むということは、霊的な意味で信じることを言われていました。このイエス様の言葉に対して不快感を覚えた弟子たちは、しかもへりくだって、この意味を啓示されることを求めようとしませんでした。そして主の言葉に対して批判的に聞いて、つぶやいているだけでした。自分の無知なことを知って、まだ知らない深い真理や難解な高くて深い奥義を、ご聖霊によって教えられることを求める。そのような態度をとらない者は、おそかれ早かれ、つまずくでしょう。主イエス様を信じて、ご聖霊を受けてこそ、主から真の霊的な命を受けることが出来ます。

イスカリオテのユダは、何度も悔い改める機会が与えられます。しかし主からの警告を何度聞いても悔い改めませんでした。主に従いながら後に主を捨てて世に返り、また永遠の命を捨てて罪と悪魔に返って行く人が後にもいます。使徒パウロの弟子の一人であったデマスも、その一人です。主イエス様について来た多くの弟子たちは、主イエス様が、ローマ帝国に対して反旗を翻す政治的、軍事的メシアではないことが分かってきました。イエス様は霊的な革命をもたらす歩みをなさいました。彼らの弟子たちは、ふるいにかけられ、政治的軍事的メシアを求めていた弟子たちは、その野心が全く打ち砕かれてしまいました。そして多くの弟子たちが、イエス様のもとを離れ去りました。

イエス様は、その場に留まっている12 弟子に聞きました。ペトロの信仰告白は、「あなたのもとを去ったら、私たちには破滅が待っているだけです」と言い換えることが出来るかもしれません。しかしペトロの信仰告白は、信じる面と愚かな面があることがマタイによる福音を見ると分かります。私たちは、誰でも弟子として、ふるいにかけられます。ユダは12 弟子の一人として、イエス様のところに留まっていました。けれどペトロの信仰告白には同意せず、ユダも去った弟子の一人でした。体はそこにいても、心は離れ去っていました。そこに留まったのは銀貨30 枚でイエス様を裏切り売るために残っていただけでした。

神様に愛されている皆さん、ふるいにかけられる時、自分の状態を正直に、祈りによって神様に打ち明け、また信頼できる仲間に吐露してゆきませんか。そして怒りや不安の代わりに、神様の平安が心を治めて頂けるように、ご聖霊と御言葉と交わりに生かされて行きませんか。

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