0604_先週の講壇_マルコによる福音書 6 章1-13 節「神様の恵みと賜物・カリス的信仰 」
- CPC K
- 2023年6月21日
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牧師 松矢龍造
ご聖霊の降臨祭であるペンテコステ礼拝を感謝し、主の御名を讃美致します。希望が丘教会
はカンバーランド長老教会の群れですが、 18 世紀 に アメリカのテネシー州の近くにありますカンバーランド地方において、御聖霊の著しい奇跡の御業が興り 、 誕生した群れです。
イエス様の宣教は、神様の霊であるご聖霊が、著しく働き、その権威と力が発動するもので
した。バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた際に、ご聖霊が著しくイエス様に下りました。イエス様の働きは、まさに御聖霊に満たされて、力と愛、奇跡と癒しによる宣教となりました。
神様の恵みは、ギリシア語ではカリスという言葉です。そして神様の恵み・カリスから派生
した神様の賜物はカリスマという言葉です。現代では、よく「カリスマ的何々」と言って、飛び抜けて優れた能力や魅力を持つ人を、「カリスマ」と呼ぶ場合が多いです。しかし聖書においては、神様からの恵みのことを、カリス。あるいは、神様からの賜物のことを、カリスマと言います。主イエス様の宣教と弟子たちの宣教においても、神様の霊である、ご聖霊が働かれ、その権威と力と奇跡が、恵みによって働いてなされました。まさに神様の恵みと賜物、カリスとカリスマによる宣教でした。世の言うカリスマは、人に注目させますが、聖書でいうカリスマは、これを与えられた神様を注目させます。
しかし イエス様は、故郷では、ごくわずかの病人に手を置いて癒されただけで、その他は何も奇跡を行うことが出来ませんでした。問題は主イエス様の能力ではなく、周りの人々の不信仰的な雰囲気の中では、働きが制限されてしまうということです。同じように、神様の恵みや賜物・すなわちカリスやカリスマは、神様の主権による御業ですが、人間の信仰と祈り、従順と一致が用いられます。逆に、裁き合ったり、 信仰と祈り や、 従順と一致がない所では、著しく御業が制限されてしまうということです。ですから、御聖霊の御業を考える時、秩序とカリスマの両方を踏まえる必要があります。
宣教には、この神様からの恵み・カリスと、神様からの賜物・カリスマが、必要不可欠です。天的な知恵、癒しの賜物、力ある業、異言、預言、そして愛の賜物などが、宣教や愛の業の為に必要です。民の惰眠を覚醒し、人々の惰性的な生き方を打破する、ご聖霊の恵みと 賜物カリスとカリスマが、私たちと教会に、さらに満ち溢れますように。ご聖霊の導きに従い、主の御心である自分の十字架を負って、神様に従う人に、ご聖霊の満たしがあります。肉なるものが、ご聖霊に圧倒されて、神様に従う歩みとなってゆきませんか。
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