0723_先週講壇_サムエル記上 1 章 3-20 節 「 祈りにいたれば全て良し 」
- CPC K
- 2023年8月15日
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牧師 松矢龍造
今日の御言葉には、サムエルの母となるハンナの祈りが記されています。おそらくハンナに子が与えられなかったので、夫のエルカナは子どもをもうけるために、もう一人の妻としてペニナをめとったのでしょう。そしてこのペニナには、何人もの子どもが与えられたのに対して、ハンナには、この時まで子どもが与えられませでした。創造主なる神様は、この親族関係の緊張とストレスのうちに御摂理によって働かれ、旧約時代の最も重要な人物の一人であるサムエルを、この世に送る為にハンナの葛藤が用いられて行きます。創造主なる神様は、混乱から秩序と美とを引き出すことによって、ご自身の創造性を発揮されるお方です。
ペニナは何人もの子どもをもうけたのに、夫としての愛情は、あいかわらずハンナの方にありました。その妬みから来る鬱憤を、夫から自分より愛されているハンナにぶつけたのでしょう。失望と怒りを、人ではなく主のもとで祈りを通して訴えることが必要です。ところが人にぶつけることによって、事態は悪化してゆくのです。それにしても一夫多妻は争いのもとです。愛には正しい秩序が必要です。創造主なる神様は、一夫一婦として結婚を定められました。
このような葛藤の中で、ハンナは、その苦しみと悩みを、夫には出さず主に注ぎ出して祈りました。ハンナは失望に対して、第一に神様に正直に訴えました。ハンナは、神様のご摂理に対して不平を言ったり神様の愛を疑ったりしませんでした。その代わりに、ただ事件と心の思いを、神様の御前に持ち出して訴えました。そしてもし、男の子が与えられたなら、一生神様に仕える
人として、この子を神様に捧げますと誓いました。それにしても祈りは、悲哀を癒される最上の道です。これが勝利と確信の道でもあります。祈りの中に、確信を握るなら、満足があり平和があります。第二に、良い信仰の友人やカウンセラーから助けを受けることです。幕屋にてハンナは嘆きの祈りをしていました。するとその姿を祭司エリは見ていて、ハンナから実情を聴きました。私たちは互いに祈り合い、助け合うことが出来ます。特に互いに祈り合う友や隣人がいる人は幸いです。第三に 、神様に本意を申し上げたなら、問題を神様に委ねて、最善以下をなさらない神様を疑わずに信じることです。祈りは誘惑より逃れる道であり、またこれに打ち勝つ唯一の道です。そして祈りの子に育てられた子は、また祈りの人となって清い生活を営み大きな奉仕をするようになります。本当に苦しい時どうしますか。また本当に喜びに溢れたならどうしますか。苦しみの時も喜びの時も、祈りにいたれば全て良しです。あなたも、あらゆる時に、神様に祈りと讃美を捧げて行きませんか。
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