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0724先週の講壇_ヨハネによる福音書 8 章 31~47 節 「 真理であるキリストが、あなたを自由にする 」

松矢龍造 牧師


自由だと表面的に思っていても、 霊魂が不自由なら、本当に自由とはいえません。 今日の御言葉では、三つの対照的な概念が展開されています。真理と偽り、奴隷と自由、神から出た者と悪魔から出た者です。

イエス様にとどまるとは、キリストの教えの中に身を置きキリストから離れて行かないことです。本当の信仰には、永続性があります。そして私たちはキリストの言葉にとどまるから救われるのではなく、救われているのでキリストの言葉にとどまるということを忘れてはなりません。イエス様は、真理の源であり、正しいことの完全な基準です。別な表現では、真理は、父なる神様によって与えられる啓示としての真理のことであり、イエス・キリストは神の言葉として、最高の啓示者です。罪を犯す者は、罪の奴隷です。罪の奴隷とは、具体的には、飲食の奴隷、肉欲の奴隷、金銭欲の奴隷、名誉欲の奴隷、権力欲の奴隷、利己心の奴隷、弱者の為に語ることを恐れる奴隷のことです。他にも、罪の奴隷とは、無知、過ち、迷信、律法主義、悪魔礼拝などに束縛されている状態のことです。イエス・キリストこそ、本当の自由をお与えになるお方です。自由とは、奴隷でない、束縛や制限を受けない、解放されていることです。ユダヤ人たちの民族的な誇りが、イエス様の言葉に、耳を塞がせています。イエス様は、御自分を 殺そうと企んでいる彼らが、真のアブラハムの子孫ではなく、悪魔から出た者であると指摘されています。父なる神様が、アブラハムを選んだので、アブラハムの肉の子孫であるユダヤ民族は、神様に特別に選ばれていると信じていました。ユダヤ民族は、かつてエジプトで奴隷状態にありました。その後も、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャからの隷属の歴史がありました。そしてこの当時は、ローマ帝国に支配されていました。それでも、ユダヤ人たちは、アブラハムの子孫であるあるから、誰にも隷属されていないと信じていました。しかしいくら、先祖に立派な人物があったとしても、本人がその子孫たるにふさわしい人物でないなら、何になるでしょうか。

当時、イエス様に反対していたユダヤ人の実際は、罪の奴隷であり悪魔を父としていました。サタンとも呼ばれる悪魔は、神様と神の民に敵対する勢力の指導者です。父なる神様が、神の御子イエス様を、この地上に遣わされた理由の一つは、悪魔の働きを滅ぼすことでした。悪魔は、人の頑固さ、自尊心、偏見を利用して、イエス様を信じさせないようにしようとします。この悪魔の誘惑と攻撃に打ち勝ち、 罪から解放される為に は主イエス様の救いを頂く他にありません。神様に愛されている皆さん、日々、罪の奴隷となることなく、聖なる器として、ご聖霊の実を結ばせて頂ける歩みを求めて行きませんか。真理なるイエス様と、その真理の言葉に日々ご聖霊によって預かり、神様と人への愛の実を結んでゆきませんか。

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