0730_先週講壇_サムエル記上 1 章 21 節 2 章 11 節 「 祈りから讃美へ 」
- CPC K
- 2023年8月15日
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牧師 松矢龍造
苦難の時には祈りなさい。順調に行っている時は、讃美しなさいと言われています。苦難も順調も、祈りと讃美なしでは、神様から心が離れてしまう危険が常にあります。悪魔は、私たちが苦難の時に、祈らせないように攻撃してきます。また順調の時には、讃美しないように誘惑してきます。そうならない為に、絶えず、神様の御言葉を、ご聖霊によって聴き続けることが大切になります。今日の御言葉は、苦難の中で、祈り、そして祈りから、いつしか讃美の歌に変わったハンナの祈りが後半に展開されています。このハンナの祈りは、救い主なるイエス様の母として用いられたマリアのマグニフィカート言われる賛歌に影響を与えたと言われています。ハンナは、男の子が与えられたなら、その子を神様の幕屋で一生涯仕える人として捧 げますとナジル人の誓願に近い祈りを捧げました。その結果、主なる神様はハンナの胎を開かれ、サムエルという男の子が委ねられました。そして乳離れするまでラマにあります家で育ててから、幕屋と契約の箱があるシロに、サムエルを連れて行きます。ハ ンナは、たった一人しかいない息子を神様に捧げることで、自分の全人生と未来を神様に捧げました。しかし息子サムエルの命はもともと創造主なる神様から授かったものでした。それゆえ、その子を神様にお返ししただけです。
ハンナの祈りが、いつしか讃美の歌に変わり、それが展開されています。この讃美の要点は、神様の主権に対する信頼と感謝であり、神様に裁きを委ねた内容となっています。
すなわち 主なる神様は聖なる方であること。また全幅の信頼に値する岩であり全てを知る神様である。そして生殺与奪の権を握り、逆転の御業を行う、裁き主でいますとことを告白しています。ハンナは、不妊の女性として、嘲られていましたが、現実に、多くの子どもの母となることが出来ました。さらに神様の主権を歌うことは、取も直さず、人の傲慢や高ぶりを戒めることです。人は皆、もう一人の妻ペニナも含めて、神様の力強い御手の下に己を低くしなければなりません。ハンナの祈りと讃美は、 後のダビデの祈りと似ていることが出てきます。たとえば、岩、陰府、雷鳴、油注がれた者という表現が重なります。ハンナ自体の祈りも、神様に助けられたことを感謝する、古い祈りの言葉が含まれていると考えられます。ですからハンナは、かつての信仰者の祈りと信仰に学び、また後の信仰者の祈りと信仰に影響を与えてゆきます。そして後のマリアの賛歌も、ハンナと同様、ご聖霊に満たされて、祈り歌ったものでしょう。私たちは、常に主の御前に驕り高ぶったり思い上がったりしてはなりません。 主は 砕き低くさ
れます。へりくだる者を憐れみ救い助けて下さるお方です。たとえ戦争や災害の中であっても、心の貧しい者や悲しむ者は幸いです。十字架と復活の主イエス様が、ご聖霊によって共にいてくださるからです。私たちも、主の御前に、祈りと讃美を通して、謙遜になって行きませんか。
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