top of page
執筆者の写真CPC K

0919先週_ヨハネの黙示録21 章1~4 節 「新しい天と新しい地」

牧師 松矢龍造


この新天新地は、今の物理的な世界も含めて全てが新しくなるのか。それとも、物理的な世

界は、そのままで、一切の悪と罪と死がなく、反キリストの勢力の全てが、火の池に投げ込まれた、質的に新しい世界になるのか。二つの説があります。私たち人間は、主イエス様を信じる恵みに預かるなら、贖われ救われ、魂は永遠に生き、朽ちるこの肉体は滅んで、永遠の体を頂きます。古い自分が、同じ人格でありながら、新しくされ、質的に新しい自分に変えて頂ける。そのように受け留めることで、二つの説の議論は止めておくのがよいかと思われます。神様との永遠の生活は、私たちに想像できるものよりも、もっと素晴らしいものであると知るだけで十分であるかもしれません。最も素晴らしいことは、これから来ます。

新天新地には「もはや海もなくなった」と言われています。ヨハネの黙示録が記された時代

に、海は危険で変わりやすく、不安と動揺の象徴のように見られていました。また海は、獣すなわち反キリストの勢力が出てきた源でもあります。ですから、新天新地において、海がないということは、人間に対して持っている敵対的な性質や、不安と動揺をもたらす悪の性質が、すべて失われることを示しています。

新しいエルサレムとは、キリストの花嫁である教会、すなわち聖徒たちの集まりのことです。それも信徒たちが立派になって昇天するのではなく、神様の側から、地上に降って神の国が完成するということです。そして教会の起源が、神様にあることをも示しています。この都は、花婿なるキリストに出会う支度が整った、花嫁なる教会として描写されています。神の幕屋は、神様の臨在を現わし、身代わりに血によって和解する場所でした。この神の幕屋が、人との間にあることによって、神様と人との関係が、アダムとエバが、罪を犯す前の状態に回復されることを示しています。私たち人類は、罪によって神様との調和が失われていましたが、キリストの贖いと救いに預かるなら、信仰者の内には、霊的、原理的に回復します。そして新天新地がなる時、完全な回復に至ります。すべての悪の力は滅ぼされ、火の池に投げ込まれて永遠に滅びます。これに対して、救い主キリストよって救われた者たちは、永遠の祝福が用意されています。それは神様を愛す者たちにとって、本当の充足と永遠の喜びです。神様が治める場所はどこでも、真の平和、安全、愛と真実があります。新天新地、それは悪、戦争、病、冒涜で満ちた最初の地は去って行った世界です。積極的な表現では、新しくされた世界において、あらゆる人類の間に、調和と安全が回復します。

主に愛されている皆さん、新天新地がやがて来ます。そこに入れるのは、驚くばかりの神様

の恵みです。その恵みに応えて、主の働きを御聖霊様によって愛を込めて行ってゆきませんか。

閲覧数:2回0件のコメント

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page