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1003先週_ヨハネの黙示録21 章9~21 節 「天からの聖なる都エルサレム」

牧師 松矢龍造


今日の御言葉である21 章9 節~21 節は、この新しい天のエルサレムの外観が記されています。そして次回の22 節~22 章5 節には、その内観となります。この都の輝きは、12 の宝石によって表現されています。この12 の宝石は、旧約時代、大祭司が胸当にはめられていた、12 部族を象徴する12の宝石に似ています。12 の門には、イスラエルの12 部族の名があり、城壁の12 の土台には、12 使徒の名が刻みつけてあります。これは旧約時代と新約時代の全キリスト者である聖なる公同の教会のことです。土台に12 使徒の名とあるのは、使徒たちが、キリストに関して教えて生き、教会の礎を据えた事実と関係があるでしょう。

金の測り竿で測るということは、その都の大きさが、神様の計画と目的に一致することを象

徴的に示しています。ですから測られた大きさが、統計的で物理的な数を意味するものでは

ないでしょう。この都が四角形で、長さと幅が同じであるとは、左右対称シンメトリーで、完全な調和がとれたものであることが示されています。1 万2 千スタディエンの長さとありますのは、三位一体の神様である3 と、地を表す4 をかけて12、そして人口の莫大な集合を表す千からなると言われます。そして都の寸法は、神様の民全員が入ることができる場所を象徴的に示したものでもあります。144 ペキスとは、城壁の厚さのことで、完全数12 にもうひとつ12 をかけ、144 となり、完全な守りが示されています。そして完璧な場所であることを示しています。

これらの貴重な12 の宝石は、色々な輝きの石であり、輝きと共に、耐久性のある場所であり、永遠に続くことを明らかにしています。新しい住まいに、がっかりさせられることは決してないでしょう。入り口の門が、一個の真珠できていたとあります。人間の想像を越えた美と無限の富を表しています。そして真珠は、アコヤガイなどの貝の中に玉を入れると、貝は苦痛の中で真珠色の液体を出してこれを包みます。これが真珠となります。これが一個の大きな真珠となるとは、主と人々の為に受けた大きな苦痛が、天では真珠のように、十字架と復活のキリストにあって、真珠のように輝かせて頂いて、この都に迎え入れらことを象徴しているのではないでしょうか。さらに言えば、教会とは、救い主が持てる、全てのものを売り払ってまで買い取られた、高価な真珠であることも想起されます。

救い主が、全てを投げ売って、買い取って下さった教会です。そしてまた初代教会の人々が、迫害下の苦しみの中で、命をかけたものが新しいエルサレムです。ならば、私たちはこの恵みと、犠牲の愛と、福音に対して、何を捧げるべきでしょうか。やがて主の御前に立つそのとき、素晴らしい天のエルサレムで、壮大で輝きに満ちた恵みに包まれます。御聖霊様の助けを祈り、世に属さず、世とは違った聖なる生き方と、証しを、この世において、なして行きませんか。

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