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1023_先週の講壇_ヨハネによる福音書12章12~節「平和の君キリストに従う霊的礼拝

牧師 松矢龍造


イエス様が、マリアからの香油注ぎを受けた翌日は、現在では棕櫚の日曜日と呼ばれる、イエス様が十字架につけられる直前の日曜日です。イエス様が、この世での最後の週が始まったことを示しています。過ぎ越しの祭りに来ていた、おもにガリラヤで主イエス様の奇跡を見た人々やラザロのよみがえりの奇跡を見たり伝え聞いたりした大勢の群衆は、イエス様がエルサレムに来られると聞いて、なつめやしの枝を持って、イエス様のもとに集まってきました。

なつめやしの枝、別名は棕櫚の木の枝です。棕櫚の木の枝は、ローマ帝国の植民地下で苦しんでいたユダヤ人の群衆にとっては、政治色の強い、熱狂的な民族主義を反映してイスラエルの王として迎えました。一方、ヨハネの黙示録では、なつめやしの枝・棕櫚の木の枝は、勝利の君・再臨のキリストを迎える時に用いられると預言されています。そして棕櫚の枝は、悲しみの後に訪れる安息と平和のしるしでした。

イエス様が、2000年前に来られた時には、結果的に、その時の群衆の意図とは別にして、主の主、平和の王としてエルサレムに入られたイエス様の勝利の入場を祝うものとなりました。群衆が叫んだ「ホサナ」は、ヘブライ語で「願わくは、今、救い給え」という意味です。しかしこの時の大勢の群衆の思っていたメシア像は、全世界の救い主ではなく、イスラエルの王、イスラエル民族の王という意味でした。ローマの指導者たちは、通常、行列を作って、市内に入る時、大きな馬に乗って来ます。ところが、イエス様は、旧約聖書のゼカリヤ書9章9節の預言の通りにろばの子に乗って入城されました。大勢の群衆が、イエス様の後を追って行きましたが、それは奇跡を見て興味深くついてゆきましたが、イエス様を神の御子イエス様と信じて従ったのではありませんでした。それにしても、イエス様が入城される際に、ろばの子に乗って入城されることの意味を知る人は、ほとんどいませんでした。しかし軍馬ではない、ろば、しかもまだ誰も乗ったことのない子ロバ。それは救い主イエス様の使命とするまことのメシアの姿を対比して際立たせるものでした。平安、あるいは真の平和があるということは、神様が共におられる、十字架と復活の主イエス様が、共におられるという以外にはありません。ある方が言われます。「真の平和は、戦争がないことではなく、神が共におられることだ」。

イエス様を「ホサナ」と迎えた大勢の群衆の礼拝は、長続きせず、彼らの献身は薄っぺらなものでした。では私たちの日曜日や、平日の「ホサナ」は、どのようなものでしょうか。イエス様は、ローマの圧制から救い出して下さる王以上の存在です。私たちの捧げる礼拝が、長く永続的になる為には、ご聖霊なる神様を歓迎し、主の御声に聴き従うことです。単なるホサナでなく、今、真実に主を讃美し「願わくは、今、救ってください、私たちを」と祈ってゆきませんか。

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