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1127_先週の講壇_ ヨハネによる福音書13章31~38節「神様と人を愛する新しい戒め」

牧師 松矢龍造


イエス様が与えられた新しい愛の掟は、動機と義務内容において新しくされていました。それは、イエス様の無条件の愛を受けて、敵をも愛し祈るものでした。自分の生まれながらの肉の力では実現できないものです。御聖霊の力と愛なくして、イエス様が与えられた新しい掟を行うことは出来ません。しかし与えられれば、可能となります。

新しい愛の掟は、兄弟姉妹を、自分以上に愛し、友のために命を捨てることを教えています。未信者の人々に、クリスチャンがイエス様の本当の弟子であると見られのは、互いに愛し合っているかで知られていきます。シモン・ペトロは、患難が遠く隔たったところにある時に大言壮語する者は患難が間近に来た時には縮あがるのではないでしょうか。ペトロは、このすぐ後に自分の弱さ臆病さ、そして数時間でさえも自分の力で主イエス様に従って行くことの出来ない無力さを知らされます。父なる神様に対する全き服従も人間に対する全き愛も、どちらもペトロの力以上です。肉の力では出来ません。すなわち自分の中の情熱や意志の力では出来るものではありません。そんな私たちの弱く罪人である者に対して、イエス様は今まで経験したことがないほどの愛で包んでくださいます。すなわち御自身を投げだし、自分の意志で進んで十字架で命を差し出し、愛と犠牲を提供して下さいます。御子を通して示された神様の愛に、基礎づけられた新しい掟が、弟子たちだけでなく、私たち一人ひとりに示されています。そして御子と御父が互いに栄光をお受けになられたように、私たちも、神様に栄光を帰すことが、新しい掟に繋がります。具体的には神様の栄光を、私達人間の側が表すことは、神様が生きて働いておられることを認めてそれにふさわしい生き方をすることです。また神様の救いと贖罪の偉大さを告白することです。そして神様の素晴らしさを発見して、主をほめたたえることです。さらにイエス様が示された愛は、隣人に対して自分の都合のよくない時に助け、自分があまり持っていない時に与え、自分の幸福よりも他の人の幸福に尽力し、不平を言わずに他の人からの苦痛に耐えることです。

ヨハネは最後の晩餐において、イエス様の御胸によりそっていました。それはイエ様に対す

る全幅の愛と信任とを捧げた態度でした。そしてイエス様から、教えと導きを頂き、感化と平安と安息を受けることでした。私たちも日々、祈りと御言葉とご聖霊により、イエス様の霊的な御懐に憩い交わり愛と教えを頂くことを大切に致しましょう。イエス様によって導かれる愛は、旧約の律法の完成です。そしてキリストが人々を愛されたように、他の人達を愛することは革命的な新しさでした。イエス様の犠牲と愛に基づいて、隣人を自分のように愛して行きませんか。そして私たち自身がご聖霊に満たされて、イエス様の愛を受けた者としての生ける模範となれますように。

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