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1128先週の講壇_ヨハネによる福音書1 章19~28 節「主キリストへの道をまっすぐにせよ」

牧師 松矢龍造


エルサレムからヨルダン側の東にありますベタニヤにいた洗礼者ヨハネに、祭司やレビ人が

遣わされてきました。第一の理由は、彼らは信仰の保護者たる者と思い、新しい教えや運動を調査する為でした。第二の理由は、ヨハネに嫉妬し、彼がどのような人物であるかを確かめようとしたのです。ヨハネには、支持者が多かったからです。ファリサイ派の人々は、一見信仰深く見えるように、神様の律法を熱心に従っているように見せていました。しかし内には高慢と貪欲に満ちていました。さらに自分たちの伝承が、神様の霊感を受けた言葉と同様に重要であると信じていました。三つ目の理由は真面目な求道心ではなく、政治的な不安からです。

エリヤは旧約時代の預言者で、炎の車で肉体の死を経ずに天の御国に凱旋した人です。伝説

では、メシアの先駆者で、大預言者あったエリヤが再来すると信じられていました。洗礼者ヨハネは、預言者エリヤの精神は持っていましたが、エリヤそのものの再来ではありませんでした。さらに「あの預言者」とはモーセに似た預言者のことですが、ヨハネはこれでもないと言いました。

暗黒すなわち、罪と死と悪魔と虚無、さらに矛盾に満ちた、この世を、救いに導く力はヨハ

ネなど私達人間にはありません。それが出来るのは、ただお一人、しかもヨハネの後に来られて、彼らのただ中に立っておられる神の御子イエス・キリストだけです。ヨハネも、わたしたちも、そのことを証しする声に過ぎません。履物のひもを解くとは、奴隷や奴隷の仕事の一つです。しかしヨハネは、それ以下であると言ったのです。すなわち主人と奴隷の関係よりも、さらにその距離と差が大きいと言ったのです。イエス様は、洗礼者ヨハネのことを、預言者たちの中で、最も偉大であると言われました。それならば、私たちは、どれほど自分の高慢さを捨てるべきでありましょうか。この主なるキリストのもとに真っすぐ来る為には、悔い改めて、メシア・救い主に備えよと叫ぶ、荒れ野の声のような証し人となることを、神様は命じておられます。キリスト者である私達は、神の御子・主なるキリストを証しする声、宣言する声に過ぎません。栄光の全てを主に帰し、キリストを指し示し、キリストの愛の香りを放ち、源なるキリストを示すことが、ご聖霊によってさらに出来ますように。自分自身ではなく、主を指し示し、このお方を覆うことがありませんよう。履物のひもを解く資格もないほどに、へりくだる謙遜の賜物を祈り求めてゆきませんか。

神様から愛されている皆さん、主イエス様にいたる道を、悔い改めて真っすぐにしてゆきま

せんか。そしてイエス様の救いと、ご聖霊様の力を受けて、全ての栄光に主に帰して、荒れ野で叫ぶ声のようにキリストを証しし、神様と人に、お仕えする歩みとなってゆきませんか。

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