牧師 松矢龍造
主イエス様が与える平安や平和は、私たちが、どんな言動をなしたとしても、神様は、私たち一人ひとりの存在を、あるがままで、そのままで、愛してくださっている平安です。また罪が主イエス様の十字架によって赦されている平安、死の解決が、主イエス様の復活によって与えられている平安、永遠の命が与えられている平安、主の御心に沿って歩んでいる時の平安、御聖霊が内側に宿って頂いている平安。そして主イエス様が、共にいてくださる平安です。これらは全て世が与える平安や平和ではありません。
弁護者と訳された原文の言葉は「助け主」あるいは「仲保者」とも訳されます。もともとは、私たちの助け手として、私たちの傍らに呼ばれた者という意味です。一緒にいてくださる。それは主イエス様が、復活される故、また再臨される故、そして御聖霊によって共にいてくださることによってです。
御子であり救い主なるイエス様を信じる者の内側には、御聖霊が内住され、イエス様は、この御霊によって私たちの内側に住んでくださいます。イエス様は、復活して天に昇られ、また世の終末において再び戻って来られます。そして御聖霊の降臨によって、信じる者に内側に住み、共にいて、みなしごにはされません。御聖霊が下られると、キリスト者の内に、永遠に住まわれます。そして離れることなく、信者を導き助け、必要な知恵と力を与えます。すると父なる神様やイエス様が望まれるように生きることを助けてくださり、この世において、キリストの教会を建てあげて行かれます。真理の霊なる御聖霊様は、私たちを、キリストと堅く結びつけ、かつイエス様が教えられた言葉を思い起こさせて、私たちと教会を前に進ませます。
主の平和は、単なる満足や、争いのない状態以上のことです。それは完全な幸福感と、心と体と精神において、十全な状態のことです。イエス様は、復活されて、父なる神様のそばで、被造物の全てを治めるために、天に帰られます。御子なるイエス様は、御父と同等のお方ですが、人間として遣わされ、力を制限されておられましたから、父なる神様の方が、偉大な方と言われました。
イエス様に対して、悪魔は、なにもすることが出来ません。イエス様は、最後の晩餐をなさった部屋を出て、オリーブ山に向かわれることと、十字架に向かわれる意志が語られています。それは、父なる神様を愛しているので、父がお命じなられたとおりに立ち上がって行かれました。この救い主を愛すれば愛するほど、ますます私たちは、主イエス様を体験的に深く知ることができます。この主イエス様を、祈りと御言葉と御聖霊の助けの中で、さらに愛して、従って行きませんか。
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