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1226先週の講壇_マタイによる福音書2章1~12節

「救い主を礼拝するためにやってきた異邦人」


牧師 松矢龍造


東方の博士たちは、ユダヤ人から見れば異邦人でした。この異邦人である東方の博士たちが、救い主との出会いを求め、礼拝を捧げることは、救い主イエス様の救いは、ユダヤ人だけでなく、異邦人もいわば全世界の人々の為の救い主であることを示しています。創造主なる神様は、今も全世界の民を、自然啓示や、聖書、そして人伝えで、私たち一人ひとりを、救い主なるイエス様のところに導かれているお方です。

祭司長や律法学者たちは、メシアの誕生地が、ベツレヘムと知っていたのに、どうして自分たち自身が行かなかったのでしょうか。当時、ユダヤ人が求めていたメシアは、アレクサンドロス大王のように、偉大な軍事的、政治的な救助者の出現であって欲しいと思っていました。しかしローマの元老院によって、ユダヤの王に任じられていた、イドマヤ人のヘロデへの警戒感があったのではないでしょうか。ヘロデは、猜疑心から晩年には、妻子まで処刑してしまう人物です。

ですからこのヘロデを恐れて、動く事が出来なかったのではないかと考えられます。しかしそれだけでなく、彼らは、罪と死と悪魔からの解放者、罪の赦しと永遠の命と真の人生の救い主を求めるよりは、軍事的、政治的メシアを求めていたので、いと小さなベツレヘムの村に誕生する子どもには、関心がない、信仰的な目が塞がれていたのではないでしょうか。東方の占星術の学者たちは、百人単位の人々と半年間もかけて費やす費用は、莫大なものではなかったでしょうか。

全財産に加えて、職についていたなら休業して、危険を承知しての旅に、どうして出られたのでしょうか。自分の今の宗教、地位、財産、それでは、埋める事か出来ない、空白を抱えていたのではないでしょうか。古今東西、人々が求めているのは、死の解決、愛の解決、永遠の命の解決と言われています。他のどんなものを持っていても、愛と死と永遠の命の解決がなければ、人生は失敗に終わるのではないでしょうか。東方の占星術の学者たちは、これらを持ち合わせていない故に、莫大な犠牲を払ってまで、王なる救い主を求めて旅をしたのではないでしょうか。

東方の博士たちは、その後「ヘロデのところへ帰るな」と夢で、お告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行きました。ヘロデの道に帰るな、それは象徴的なことでもあります。ヘロデの道は、嫉妬、猜疑心、残虐の道です。これに対して、別の道とは愛と平和、赦しと信頼の道です。キリストは、私たちの内にある嫉妬、猜疑心、残虐と言う罪の身代わりとなって、十字架にかかる為に来られた救い主です。また復活してご聖霊によって私たちに愛と平和、赦しと信頼を生み出して下さるメシアとして、この世に来て下さいました。あなたも、この救い主の恵みに満ち溢れて、真の命の希望ある人生の道を歩んでいきませんか。このイエス様の愛を受けて、復活の力をご聖霊によって頂いて、新しい愛と真実の生き方をしてゆきませんか。

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