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2021.7.4『先週の講壇』 ヨハネの黙示録15 章1~8 節「キリストにある救いと勝利と解放の歌」

牧師 松矢龍造


天の御国は、どんな景色なのでしょうか。今日の御言葉では、「ガラスの海」と表現されています。東方の暁の美しい光が、紅海という海の水の上に輝きを投げかけた時、紅海は火の混じったガラスの海のように見えると言われています。このことを比喩として、天の御国の表現がなされています。迫害と困難さの中にいたキリスト者たちは、このヨハネの黙示録にあります天の情景を思い描いて、やがて天の御国に入ることの希望を頂きながら、耐え忍んでいたのではないでしょうか。また天には神殿があり、神の栄光とその力から立ち上る煙で満たされています。煙は、神様の栄光のしるしであり、また神様の臨在を現わし、更に神様の力の現れです。

「神の怒り」とありますが、原文では「神の激怒」という意味でもあります。悪に対する神様の義憤が極みに達します。「達する」とは「完了する」「完成する」「終了する」という意味でもあります。神の世界審判が、世の終末の時に、完了する、完成する、終了する時が来ます。皇帝礼拝を拒み、偶像を拝することに抵抗した民は、迫害と殉教の死を遂げて、天の御国に凱旋します。

神の僕モーセの歌とは、イスラエルの民が、エジプトにいた時、奴隷とされていました。そ

のエジプトでの奴隷状態から解放され、紅海の開かれたこと、そしてエジプト軍が滅んだことを祝った歌です。小羊の歌とは、神の民が、罪と死とサタンの力から、究極的に解放されたことを祝った歌です。創造主にして審判主である神様の世界審判は、全世界に及ぶもので、全ての悪の撤廃と、世の終わりによって最高潮に達します。地上の荒れ野における幕屋は、天の証しの幕屋である神殿の影でした。そして天の幕屋であり神殿が実態です。そして天の聖所が開かれたのを見ることが出来たのは、小羊なるキリストの十字架の血によって、開かれたからです。神の怒りが盛られた7つの金の鉢が下されることは、世の終末における患難時代の終わりの時が近づいていることが分かります。そしてこの七人の天使の七つの災いが終わるまでは、だれも神殿の中に入ることができなかったのは、どのような祭司の執り成しがあったとしても、神様の聖なる怒りを引き延ばすことはできないと言う意味でしょう。そして七つの災いとは、完全な裁きのことです。

創造主にして、審判者である神様の裁きは、完全なものです。このことは、神様が信頼でき

る方であると、再び安心させるものです。そしてキリストにある救いを頂いた者たちも、この神様に倣いて、道徳的、倫理的に正しいことが要求されます。そのためには、誰でも、御聖の力と実を求める必要があります。世の終わりにおける神様の世界審判を覚え、キリストの救いを頂いたなら、神様の栄光を現わす行動を、御聖霊の力を祈り求めて行ってゆきませんか。

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