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2021.9.5ヨハネの黙示録20 章1~6 節 「キリストと共に千年間治める」

牧師 松矢龍造


今日の御言葉において、千年の間と出てきましても、その意味は物理的な意味で千年なのか、それとも象徴的な意味での千年なのかは解釈が分かれます。けれど、最も重要なのは、どちらかではなく、共通していることは何かということと、それぞれの解釈によって、教会が分裂しないようにということです。解釈にこだわるより、キリストにある一致こそ重要です。

聖書において、千という数字が象徴数字の場合は、比較的長期間であることや、神様の計画

の中で十分な期間であるという意味。さらに創造主なる神様が、定められた期間という意味でもあります。

底なしの淵とは、悪霊や反キリストの勢力が閉じ込められている場所のことです。この場所

も創造主なる神様の支配の中にあります。サタンの決定的な敗北は、すでに主イエス様の十字架と復活によって成りました。これがサタンの拘束の第一段階です。そして第二段階のサタンの拘束がなされます。物理的な意味で千年なのか、それとも神様が定められた期間であることが強調されているのか。サタンも、創造なる神様の許可なしで、活動は出来ません。そしてしばらくの間、解放されるとあります。それは、サタンの勢力が誰であるかが、明らかにされる為でしょう。イエス様の証しと、神の言葉の為に、殉教した人達、あるいは、皇帝礼拝や偶像礼拝を拒み、額や手に獣の刻印を受けない人たちがいます。彼らは、生き返って、キリストと共に、千年の間、統治します。この千年の間の統治は、キリストの再臨の前後か、あるいは無千年王国なのか、三つの説がありますが、どれかは断定できません。むしろ三つの説が共通していることは、キリストが世の終わりに再臨されて、サタンを完全に倒し、永遠に統治されるということです。その他の死者とは、キリストをあくまでも拒み、サタンの勢力から抜け出ることなく、肉体の死を向かえた者たちのことです。彼らは、最期の審判の後に、燃えるゲヘナに投げ込まれて滅んでしまう者たちです。第一の復活とあるのは、後に空中で携え挙げられ携挙されるキリスト者たちのことを第二の復活と呼ぶことの表現の故と思われます。第二の死とは、第一の肉体の死の後、最後の審判で、永遠の滅びとなってゲヘナで滅びることです。キリスト者にとって、この第二の死は、何の力もありません。誰もが、キリストによる救いを信じて、第二の死から免れることが、最も重要なことです。

新約時代は、キリスト者は、全員、霊的な祭司として、人々を主にあって祝福します。また

隣人の救いの為に、祈り、執り成します。そして礼拝を捧げつつ、神様の証しをし神様の言葉を伝えます。さらにキリストが私たちの救いの為に全てを献げて下さった犠牲の愛と真実に応えて生涯を献げます。キリストと共に、霊的に統治する新約的な祭司として、歩みませんか。

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