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2022.6.8ダニエル書 2 章 24~49 節「苦難や危機は機会とされる」

牧師 松矢龍造


創造主して救い主なる神様は、神の民に対して、苦難や危機が襲うことを、あえて許されることが、しばしばあります。しかし全知全能の神様は、その苦難や危機を、御自身の栄光を現される機会とされます。

私たちがもし、戦争や恐怖や悪者の繁栄の為に動揺しているなら、歴史の結果は、世界の指導者たちではなく、全知全能の神様が決定することを、思い出すことが重要です。今日の御言葉を、最初に聴いたユダヤ人読者たちは、このことを通して、神の民であるイスラエルが、最終的には、バビロンに勝利する象徴として理解したことでしょう。

主にあって、危機は機会です。バビロンの国中の知者たちが皆殺しにされる危機は、主なる真の唯一の神である主が、世界に示される機会となりました。主は歴史の主であり、啓示の主でもあります。それは、ダニエルの時代だけでなく、世の終末に向かっている私たちにとっても、主なる神様は、歴史の主、啓示の主です。

ダニエルと三友は、この危機の時に、創造主にして救い主なる唯一の神様に祈りました。その結果、バビロンの王ネブカドネツァルが見た夢とその解釈が示されました。祈りは、主にあって、危機を機会に変えて頂く時に用いられる大切な信仰者の特権です。

ダニエルは、王の侍従長のアルヨクのもとに行って、こう言いました。24 節「バビロンの知者を殺さないでください。わたしを王様のもとに連れて行ってくだされば、王様に解釈を申し上げます。」

ダニエルは、自分たちだけでなく、他の王の側近の知者たちや、バビロンにいる全ての知者たちの命をも救うことになります。これはかつてエジプトに売られヨセフが、王の夢を解き明かして、エジプトやイスラエル、隣国と多くの国民の命を、食料をもって救ったようになりました。創世記 41 章 37~44 節「ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。ファラオは家来たちに、『このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか』と言い、ヨセフの方を向いてファラオは言った。『神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。』ファラオはヨセフに向かって、『見よ、わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる』と言い、印章のついた指輪を自分の指からはずしてヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の首飾りをヨセフの首にかけた。ヨセフを王の第二の車に乗せると、人々はヨセフの前で、『アブレク(敬礼)』と叫んだ。ファラオはこうして、ヨセフをエジプト全国の上に立て、ヨセフに言った。『わたしはファラオである。お前の許しなしには、このエジプト全国で、だれも、手足を上げてはならない。』」

ダニエルは、王の前に出て、夢と解釈を告げます。27~30 節「ダニエルは王に答えた。『王様 がお求めになっている秘密の説明は、知者、祈祷師、占い師、星占い師にはできません。だが、 秘密を明かす天の神がおられ、この神が、将来何事が起こるのかをネブカドネツァル王に知らせ てくださったのです。王様の夢、お眠りになっていて頭に浮かんだ幻を申し上げましょう。 お休みになって先々のことを思いめぐらしておられた王様に、神は秘密を明かし、将来起こる べきことを知らせようとなさったのです。その秘密がわたしに明かされたのは、命あるものすべ てにまさる知恵がわたしにあるからではなく、ただ王様にその解釈を申し上げ、王様が心にある 思いをよく理解なさるようお助けするためだったのです。」 ダニエルは、先ず王の側近である知者、祈祷師、占い師、星占い師には出来ないことを告げま す。しかしダニエルは、自分が夢を告げ、解き明かすことを誇りません。秘密を表されるのは、 天にいます神様であるあることを、何度も強調しています。ダニエルは、その成功を、自分の利 益を増すために用いませんでした。あくまでも、神様に栄光を帰しました。 神様が私たちを通して行われる手柄を、私たちは横取りしてしまっていないでしょうか。私た ちは、ダニエルのように、人々を真の神様へと向かわせ、神様に栄光が捧げられるようにするこ とが、常に大切です。世界における私たちのキリスト者の使命の一部は、信仰のない人たちに、 主なる神様が、どのような御方であるかを示すことです。ダニエルが、自分を隠し、ただ神様を 表し、神様のみに栄光を帰する歩みをなしたように、私たちも、祈りご聖霊の助けを受けて、栄 光を主のみ帰することになりますように。 ダニエルは、ネブカドネツァル王が見た夢を先ず告げました。一つの巨大な像が、目の前に立 ち、以上に輝き、見るも恐ろしいものでした。頭は純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、 足は一部が鉄、一部が陶土で出来ていました。そして一つの石が人手によらず切り出され、その 像の鉄と陶土の足を打ち砕き、像は風に吹き払われ、跡形もなくなりました。そしてその像を打 った石は、大きな山となり、全地に広がりました。 ダニエルは、王の夢を告げると、次に夢の解釈を続けました。像が人間の形をしているのは、 世界を表しています。頭の純金は、ネブカドネツァルを代表とする新バビロニヤ帝国を表します。 胸と腕の銀はメド・ペルシャ連合国を表します。腹と腿の青銅は、アレクサンドロ大王のギリシ ア帝国、すねと足の鉄と陶土は、ローマ帝国のことです。 そして人手によらず切り出された石は、神の国の王国のことです。そしてダニエルの神が、地 上の王国のすべてを管理する力があることを明らかにします。そして神の王国は、決して破壊さ れません。メシアの王国は、神様にその起源を持ち、永遠です。巨大な像が、人間的に移り行く 帝国の象徴であり、この有限な国々対して、永遠の神の国が対比されています。 神の王国は、教会でもあります。陰府の力もこれに打ち勝てません。マタイによる福音書 16 章 18 節「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」聖なる 公同の教会は、永遠の主の御国、永遠の王国です。この教会と教会生活を大切にすることが求め られます。 ダニエルの言葉を聞いたネブカドネツァルは、ひれ伏してダニエルを拝し、献げ物と香を彼に 供えさせました。原文では「ひれ伏す」と「拝する」とは、どちらも「ひれ伏す」という意味を 持っていますが、別の言葉が使われています。ダニエルにひれ伏したのは、ダニエルには対して は礼を表し、ダニエルの背後にいる神様に対しては、拝したということでしょう。 ダニエルは、自分を神とされて拝むことは拒んだでしょう。ダニエルに夢を示され解き明かし てもらった王は、彼をひれ伏して拝しましたが、神様の僕に名誉を与えることによって、ダニエルたちの神を敬うことだったのではないでしょうか。続く王の言葉が 47 節です。「王はダニエル に言った。『あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神は、まことに神々 の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない。』」 ただし王は、ダニエルたちの神を、「神々の王」と言っているところから、王は、神々の中の 優越性は認めましたが、しかしなお、その神を真の唯一の神として崇拝はしていません。 しかし王がイスラエルの神を、王たちの主と認めるに至ったことは、創造主なる神様の主権の 現存を強く証しするものであったことは、間違いありません。ダニエルたちの神が、地上の王国 の全てを管理する力が明らかにされました。 王は、ダニエルを高い地位につけ、多くの素晴らしい贈り物を与え、知者すべての上に、長官 として立てました。そして捕囚先のイスラエルの民と、救い主に向かう家系が守られることに繋 がってゆきます。この主の御摂理による守りは、これより世の終末まで続きます。 ダニエルは、王に願って三友を、バビロン州の行政官に任命してもらいました。ダニエルは、 働きの重荷を、多くの補佐役たちと分かち合うことを示しています。私たちも、キリストの体と して、多くの人々と、働きを主にあって共有することが大切です。

歴史の主は、全ての国々を、御摂理によって統べ治めておられます。そして切り出された石は、 神の国であり、キリストも生ける石と言われています。ペトロの手紙一 2 章 4 節「この主のもと に来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石 なのです。」 そしてキリストの王国である神の国は、実に強堅です。マタイによる福音書 21 章 44 節「この 石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしま う。」 ダニエルが心の中に、ご聖霊によって描き出された神の国は、キリストの来臨をもって、この 地上にもたらされ、静かに今も、その広がりを増し続けています。キリスト者は、愛と思いやり や、証しの行動を通して、主なる真の神様へ、人々の心を向かわせます。それは私たちの行動を 通して、神様に誉れを帰すものでもあります。 私たちも、置かれた場所で、危機を主にあって機会とされ、主の御栄光を表すことができます ように。祈り、ご聖霊の導きに従い、御霊に満たされて、愛の業をなし、キリストの福音を証し てゆきませんか。

お祈り致します。

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