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2022.7.6ダニエル書 5 章 1~30 節「主によって人生は量られている」

牧師 松矢龍造


共同体には、家庭、学校、会社、地方自治体、国家があります。これらの共同体において、共通していることは、少しオーバーな言い方ではありますが、リーダー・指導者の良し悪しで、すべてが決まってくると言えるかもしれません。

ダニエル書が記された時代の、最大の指導者・リーダーは、バビロニア帝国の王でした。そしてバビロニア帝国最後の王は、ベルシャツァルでした。彼は祖父にあたるネブカドネツァルが、何度も神様から警告を受けていたことを知っていました。にもかかわらず、へりくだらずに、傲慢になって、バビロニア帝国の滅亡を招いてしまいました。

いつの時代も、高ぶりは、滅びに先立ちます。旧約聖書、箴言 18 章 12 節「破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。」


ベルシャツァル王は、ネブカドネツァル王の娘の子にあたります。父親はネブカドネツァル王の継承者であったナボニドスですが、晩年はラマに隠遁していて、息子のベルシャツァルが、父の摂政として、軍事的政治的実権を握っていました。

ベルシャツァルと言う名前の意味は、偶像の神「ベルが王を守る」です。ベルは、バビロンの主神マルドウクの別名です。そして彼は、バビロニア帝国、最期の王となりました。

彼は、千人の貴族を招いて、大宴会を開きました。そしてこの日は、バビロニア帝国、最期の日となりました。自分を誇った絶頂の時に、自分に死を招きました。後のヘロデ王の姿を思います。使徒言行録 12 章 21~23 節「定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。」


ベルシャツァル王は、宴も進んだ頃、金銀の祭具を持ってくるように命じました。それに酒を注いで飲むためです。前の王を、当時父と表現するがありました。祖父であるネブカドネツァルは、かつてエルサレム神殿から、祭具を持ち去りました。そしてバビロンの主神マルドウクの神殿に納めました。

この金銀の祭具は、本来イスラエルの祭司が、神殿の儀式をためだけに触れることが許されたものでした。しかしベルシャツァル王とその客たちは、その祭具で、自分たちの偶像の神々をたたえて、乾杯をしました。この出来事は、イスラエルの神、いや創造主なる神様の御名を著しく汚すものでした。

すると、その時、人の手の指が現れて、灯に照らされている王宮の白い壁に、文字を書き始めました。王は、書き進むその手先を見て、恐怖にかられ、顔色が変わり、腰が抜け、膝が震えました。そして王は、大声を上げて、祈祷師、賢者、星占い師などを連れてこさせ、これらバビロンの知者たちに言いました。

7 節「この字を読み、解釈をしてくれる者には、紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうちの第三の位を与えよう。」ここで第三の位とは、第一が、現王である父のナボニドス、そして第二の位は、摂政であるベルシャツァルです。ですから、第三の位とは、自分の次の位にするということでしょう。

宮廷の知者たちが皆、集まって来ましたが、誰もその字を読むことが出来ず、解釈も出来ませんでした。ベルシャツァル王は、いよいよ恐怖にかられ、顔色が変わり、貴族も皆、途方に暮れました。すると王妃が宴会場に来て言いました。10~12 節「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。そんなに心配したり、顔色を変えたりなさらないでくださいませ。

お国には、聖なる神の霊を宿している人が一人おります。父王様の代に、その人はすばらしい才能、神々のような知恵を示したものでございます。お父上のネブカドネツァル王様は、この人を占い師、祈祷師、賢者、星占い師などの長にしておられました。

この人には特別な霊の力があって、知識と才能に富み、夢の解釈、謎解き、難問の説明などが よくできるのでございます。ダニエルという者で、父王様はベルテシャツァルと呼んでいらっし ゃいました。このダニエルをお召しになれば、その字の解釈をしてくれることでございましょう。」

ダニエルは、王の前に召し出され、王がダニエル言います。「聞くところによると、お前は神々の霊を宿していて、すばらしい才能と特別な知恵を持っているそうだ。賢者や祈祷師を連れて来させてこの文字を読ませ、解釈させようとしたのだが、彼らにはそれができなかった。

お前はいろいろと解釈をしたり難問を解いたりする力を持つと聞いた。もしこの文字を読み、その意味を説明してくれたなら、お前に紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうち第三の位を与えよう。」

ダニエルが、壁の文字を読み、解釈するのは、物質的な報酬に動かされたわけではありません。もっとも、この夜に滅びるバビロニア帝国の第三の位を受けても、全く魅力のないものでありま したが。

ダニエルが、神様の霊によって解き明かしたのは、「メネ、メネ、テケル、そしてパルシン」でした。メネとは、数えるというアラム語です。二度書かれているのは、強調されているということです。テケルとは、重量を量るという意味です。神様の道や道徳的基準に照らして足りないということです。そしてパルシンとは、分割すると言う意味で、この後、バビロニア帝国は、国が分割され、メディアと、ペルシャになることが示されていました。

メディアという国は、ペルシャ湾より約 650 ㎞のところに位置し、BC612 年には、バビロンと共に、アッシリア帝国を滅ぼしました。ところが、BC549 年には、ペルシャとの戦いに敗れ、ペルシャの属州となっていました。そして一方、ペルシャは、現代のイランに当たり、BC549 年にメディアに勝利した後、BC539 年に、バビロニア帝国を破りました。

このことは、ダニエル書の前のイザヤ書にも預言されていました。イザヤ書 21 章 5 節と 9 節

「宴は広げられ、座は整えられ、人々は飲み食いしていた。『立て、武将たちよ、盾に、油を塗れ。』」「『見よ、あそこにやって来た二頭立ての戦車を駆る者が。』その人は叫んで、言った。『倒れた、倒れた、バビロンが。神々の像はすべて砕かれ、地に落ちた。』」

ベルシャツァル王は、ダニエルの解釈を聞くや、バビロニア帝国の第三の者にすると言いましたが、同じ夜に、王は殺され、バビロニア帝国は、滅びました。その原因は、22 節に「へりくだろうとしなかった」とあります。原文では、創造主なる神様を、たたえなかった、恐れ敬わなかった、敬意をあらわさなかったという意味でもあります。

すべての罪の根は、アダムとエバ以来、傲慢です。自分が神のようになりたい。神様に栄光を帰さない。悔い改めて、創造主なる神様を、ほめたたえない。本来人間は、神様の栄光の為に造られ、この主を讃美する為に創造されました。イザヤ書 43 章 7 節「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し、形づくり、完成した者。」

ですから、神様を崇めることを、人生の目的としなければなりません。だれでも、その生涯の全ては、主によって量られ、数えられています。ですから、私達は誰でも、自分の生涯を日々、正しく、主の御前で数える必要があります。旧約聖書、詩篇 90 編 12 節「生涯の日を正しく数え

るように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」


ベルシャツァルは、祖父の教訓を生かせませんでした。それでは、私たちは、聖書の告げる過去の教訓を生かしているでしょうか。主イエス様は、愚かな金持ちの例を取り上げています。ルカによる福音書 12 章 16~21 節「それから、イエスはたとえを話された。

『ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、【どうしよう。作物をしまっておく場所がない】と思い巡らしたが、やがて言った。【こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。〈さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ〉と。】しかし神は、【愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか】と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。』」

かつて祖父のネブカドネツァル王が、主から夢で示され、ダニエルが解き明かしたように、像の頭が金の時代は終わり、次に銀と銅の時代となりました。歴史と審判の主は、神様の時に、裁かれ、実行されて行きます。私たちは、ダニエルに、光と理解力と優れた知恵をもたらし、宿らせた神様の霊が、私たちにも常にもたらされ、宿らせて頂けるよう祈ってゆきませんか。そして主の御前で、常にへりくだって、主にのみ栄光を帰し、主をほめたたえながら、主の御心に生かされ生きて行くことが、ご聖霊様によって出来ますように。

最後に新約聖書ペトロの手紙一 1 章 17 節「また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、『父』と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。」お祈り致します。



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