ヘブライ人への手紙12 章25~29 節 ヨハネによる福音書19 章16b~30 節
「震われる国と震われない国と十字架上のキリスト」
牧師 松矢龍造
起
私たちの内外には、揺れ動くものが満ちています。平安を求め、この祈祷会に来られた方には、心苦しいことですが、先ずは、揺れ動くものに関して、厳粛な御言葉を語られなければならないことをお許しください。
近年、異常気象による台風や洪水で河川が氾濫し、多くの家屋が流されています。また地震国、日本では、火山が噴火を起こし、大地が揺れ動き、津波による被害や、放射能が漏れたこともありました。宇宙の星々も、揺れ動きます。
さらに私たちの心や精神も揺れ動くことがあります。すなわち内面が動揺したり、震えたりします。そして戦争が起これば、国自体が揺れ動くことになります。
このような中で、揺り動かされることのない御国を、今日の御言葉は示しています。迫害とプレッシャーの中にあった、最初の読者たちに、またヘブライ人への手紙を読む、すべての人々に、震われない国をしっかりと見据えるように、今日の御言葉を通して神様が、私たちに一人一人に語りかけておられます。
承
今から3500 年ほど前の旧約時代、シナイ山で律法が与えられた時、神の御声が地を揺り動かしました。すなわち旧約時代の契約締結の際に、神の啓示現象が、シナイ山全体を振り動かし、民を震撼させました。出エジプト記19 章18 節「シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を、山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。」
そして今度は、私たちの未来において、やがてなされる神様の啓示行為は、天地万物を揺り動かします。これは真に神の御業なるものだけが不動であり、永遠に残るためです。旧約聖書ハガイ書2 章6 節「まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度、天と地を、海と陸地を揺り動かす。」
そして新約聖書ペトロの手紙二3 章10~13 節「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。」
転
旧約時代に神の民とされたイスラエルの民は、しばしば神様に背き、主なる神様がシナイ山で彼らに授与された律法に従いませんでした。神の民であっても、神様に従わない時には、罰を免れませんでした。神様は、きよく、絶対的に真実であり、全き善なるお方であり、常に公平なお方です。
この神様は、焼き尽くす火です。旧約聖書、申命記4 章23~節「あなたたちは注意して、あなたたちの神、主があなたたちと結ばれた契約を忘れず、あなたの神、主が禁じられた、いかなる形の像も造らぬようにしなさい。あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神だからである。あなたが子や孫をもうけ、その土地に慣れて堕落し、さまざまの形の像を造り、あなたの神、主が悪と見なされることを行い、御怒りを招くならば、わたしは今日、あなたたちに対して天と地を呼び出して証言させる。あなたたちは、ヨルダン川を渡って得るその土地から離されて速やかに滅び去り、そこに長く住むことは決してできない。必ず滅ぼされる。」
旧約時代のこの警告を無視したイスラエルの民は、荒れ野をさまよい、20 歳以上の人々は、ヨシュアとカレブ以外、約束の地に入ることは出来ませんでした。さらに約束の地カナンに入った20歳以下の人々も、その子孫は、神様からの警告を拒みました。そしてアッシリアやバビロンに捕囚となって、イスラエルの国も、エルサレムの都も、神殿も、みな滅ぼされました。
その後、神様の恵みを受けて帰還したユダ族を中心としたイスラエルの民は、神殿を再建し、エルサレムの都を再興しました。しかしその子孫たちが、神の言葉を語っているイエス様を拒み、地上で神の御旨を告げる人を拒んだ結果、またエルサレムの都も、神殿も破壊されました。
地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるなら、なおさら罰を免れることはありません。
ヘブライ人への手紙26 節「あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。『わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。』
この『もう一度』は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。」
揺れ動くものに執着してはなりません。実に、神様は焼き尽くす火です。火とは、裁きの象徴です。かつて旧約時代の堕落したソドムとゴモラ街は、天から硫黄が降って来て滅び、死海の底に沈みました。
火は、一方では、破滅の火であり、永遠の裁きとなります。しかしもう一方では、火は、罪を全く、ご聖霊によってきよめ、罪から解放し、完全に贖います。
ですから私たちが目指すのは28 節です。「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」揺れ動くことのないものに目を留めるとは、天からの御旨を告げる方を拒まないことです。神様を拒むことは、滅びることです。
私たちの罪の為に十字架にかかり、復活され、天に昇られ、天の右の座につかれたキリストの御旨を、拒んではなりません。それはまた、ご聖霊によって語られる神様の言葉を、拒んではならないということです。
28 節に「神に喜ばれるように仕えよう」とありますが、「喜ばれるように」とは原文のギリシア語では、「受け入れられるように」あるいは「御心に適うように」という意味でもあります。神様に喜ばれ、受け入れられるのは、神様の御心に適う歩みをなすことです。
ですから注意深く、神の御言葉に耳を傾け、その警告を心に留めなければなりません。私たちの真の命は、それにかかっているからです。その際に、律法を拒むことより、天からの福音を拒む方が、責任が重いのです。
この世には、多くの変動するものがあります。政治的不安、社会的な抑圧、経済的な変動、宗教的な混迷、道徳的な退廃、生活上の不自由。これらの中で、私たちがまず心に留めるのは、天からの福音、天からの啓示、神の言葉であります。
そして神様に喜ばれる信仰、奉仕、感謝、慎みが大切です。神様を恐れ敬う心をもって、日々、瞬間瞬間、歩むことが、ご聖霊に助けられ、導かれて歩めますように。宗教改革者の一人、ジャン・カルヴァンは次のよう祈っています。「全能なる神様、あなたは毎日のように、私たちを励まし、しばしば正しい道から外れる私たちを正し、悔い改めるように叱責してくださいます。おお神様、昔の預言者たちが叱責したイスラエルのそむきに似て、わたしたちが、あなたを拒むことがないように助けてください。ご聖霊によって、私たちを治め、柔和で従順に従えるようにしてくださり、どんな事も学ぼうとする熱心な心を与えてください。私たちは神の知恵を拒む病にかかっています。しかし、幸いにも不治の病ではありません。この病を癒し、心から悔い改めて、完全に従えるようにしてください。あなたのことば、すなわちモーセと、さまざまな預言者たちを通して、そして、ひとり子イエス・キリストを通して啓示された真理によって、治められることのほかには、何事も願わないようにさせてください。」
結
宇宙が震えて滅ぼされる時にも、イエス様に固く結びついているなら、神様との関係は、動かされることはありません。しかし、もし神様に対して真実でないなら、あなたを救うことが出来る神様は、あなたを焼き滅ぼす火を下されます。
アメリカのある都市に、エイズで苦しみ、死にかけていた女性がいました。彼女には幼い娘がいましたが、この娘が教会に行って、母親が死にそうだと牧師に伝え、「一度だけでもママに会いに来てください。ママが死ぬ前に、イエス様を信じて、天国に生けるようにしてください」とお願いしました。牧師が、その娘の手をとって、家を訪ねたとき、母親は、はっきりと断りました。「ここは牧師がいるべき所ではないわ。私は神を信じていなしいし、私がこんな病気で死ぬのは当然なのよ。若い頃、快楽ばかり求めて生きていた罪の代価を払っているのだから。どうぞお帰りください。」
すると牧師は、このように言いました。「クローゼットに貼ってある写真の中のお子さんは、どなたですか。」「私の一人娘よ。」「娘さんが、お母さんの言うことを聞かないで家を出て、遊び回って、ひどい病気にかかったら、捨てますか。」「私の言うことを聞かなくても、どんなにひどい病気にかかったとしても、たったひとりの娘を捨てられるわけがないでしょう。」牧師が言いました。「あなたも神様にとって、そのような娘なのです。今からでも悔い改めるなら、あなたが娘さんを抱いてあげるように、神様があなたを抱いてくださるのですよ。」以前、求道者の方が、マリア会に出席され、親戚にいる重い病にかかったクリスチャンの方のことを語っておられました。重い病を通しても、固く立っておられる姿を見て、イエス様を信じる人々の確かな姿は、すごいと思ったと言われていました。
愛する皆さん、私たちは皆、神様の息子であり、神様の娘なのです。ですから、神の御子は、人となってこの世に来られ、私たちの罪の贖いと救いの為に、十字架につけられることをよしとされたのです。私たちが主なる神様に立ち帰るなら、主がすべてのことをご存知の上で、キリストの十字架の贖い故に、受け入れてくださいます。
揺れ動くものに固執せず、三日後に復活されて揺れ動くことのないお方と、その御国を第一に追い求めて歩む者となりませんか。
お祈り致します。
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