2023.11.8箴言 19 章 15~29 節「人の計画と主の御旨」
- CPC K
- 2023年12月21日
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牧師 松矢龍造
起
かつてナポレオンは、実に緻密な計画を立てた人として知られています。ワーテルローの戦いに臨んだ時も、一点の非の打ちどころのないプランを立てていました。しかし、その日に朝から降った大雨のために、十二分に立てられた、そのはかりごとは、ついえ去りました。ナポレオンとその軍隊は敗れ、ついて、その敗北から立ち上がれなくなったそうです。
人の力によって、人のために立てる計画とは、そんなものではないかと思わされます。今日の箴言の御言葉の一つに、21 節があります。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」ここには、人間の思惑にもかかわらず、神様が全ての出来事を支配されていることが強 調されています。
承
人間の計画の特徴は、未来を知らず、妨げが多く、絶えず変化します。さらに無力さが、いつもついてまわります。そして神様の御旨に反する人の計画は実現しません。これに対して、神様の御旨は、至高であり、不変であり、最終的です。
ですから、誰でも、思うべき限度を超えて、思い上がってなりません。信仰の量りに応じて、慎み深く考えることが大切になります。ローマの信徒への手紙 12 章 3 節「わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」
旧約時代に、思うべき限度を越えて、バベルの塔を建てた人間のあり様は、実現しませんでした。創世記 11 章 4 節「彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」8節9節「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」
ですから、神様の御心を知り、御心のままに、神様から与えられた志を働かせて、それを実践することです。フィリピの信徒への手紙 2 章 13 節「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」
具体的には、自分の考え、願い、計画を、祈りの中で、神様の御前に持ち出し、神様に相談してみることです。ならば、神様が正し、あるいは力づけてくださいます。
転
今日の言葉の冒頭では、怠惰への警告と、勤勉が報われることから始まっています。15 節「怠惰は人を深い眠りに落とす。怠けていれば飢える。」加えて 24 節「怠け者は鉢に手を突っ込むが、口にその手を返すことすらしない。」
怠け者は、口に食べ物を運ぶことさえ、煩わしく思うというのです。それなら、飢えることは自明の理です。人は、怠惰な人の特徴を、分析した人がいます。一つは、怠け者には、目標がありません。二つ目に、怠惰な者は、自主性がありません。三つ目に、生活にリズムがありません。四つ目に、心に愛とか希望とかのエネルギーがありません。五つ目に、いつも心に悔いと不満足を合わせ持っています。
これに対して、勤勉になるためには、先ず神様の御心を求め、これに適う備えを頂くことです。ヘブライ人への手紙 13 章 21 節「御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。」
そして絶えず、主を待ち望み、ご聖霊の風と力を頂くことです。イザヤ書 40 章 31 節「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
続いて、17 節です。「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる。」リビングライフ訳では、次のように分かりやすく訳しています。「貧しい人を助けるのは、神様に貸すのだ。神様は素晴らしい利息を払ってくださる。」貧しい人とは、見捨てられて孤独を感じている人、愛されず、必要とされていないと思い込んでいる人のことです。
マザー・テレサさんの言葉に、これに関連したものがあります。「社会を変えるのは、神様の仕事です。しかし、貧しい人々が本当に苦しんでいるのは、貧しさよりも、病よりも、社会に捨てられたことなのです。最も恐ろしい貧しさは、孤独です。私は、そんな人のそばにいて、『神様はあなたを愛していらっしゃる。神様は、あなたを必要としていて、生まれさせてくださった』と分かって頂くようにすることです。」
他にも、こんなことを言われる方もいます。「富める者が与えるパンやルピーよりも、人が本当に求めているものは、変わらない、人の愛なのです。富める人の、まやかしの慈善よりも、心の貧しい人の心から流れ出す、ほんものの愛が、結局、人の望むものです。そして、それこそ、人を、また人の世を変えていくものではないでしょうか。」
私達が、貧しい人たちを助けるとき、創造主と、被造物の両方に敬意を表すことになります。神様は、貧しい人たちへの、私達の助けを、私達が、神様に直接捧げているかのように受け入れられます。知恵ある生き方は、正しい生き方ですが、それは特に、貧しく虐げられている人々に、正義と公正をもって接することに繋がって行きます。まさに弱者を憐れむことに、怠惰ではなく、神様からの愛と、ご聖霊の力を頂いて、接することが出来ますように。
続いて、18 節「望みのあるうちに息子を諭せ。死なせることを目指してはならない。」加えて 26 節 27 節「父に暴力を振るい、母を追い出す者は、辱めと嘲りをもたらす子。わが子よ、諭しに聞き従うことをやめるなら、知識の言葉からたちまち迷い出るであろう。」
子どもへの懲罰は、将来、他の人を害する愚かな行為に走らないための、しつけです。親や長老に従うことは、社会秩序を保つために、極めて重要なことです。律法では、親に不従順な子は、町の長老たちの手によって死刑に処すべきとまで、厳しく言われています。
申命記 21 章 18~21 節「ある人にわがままで、反抗する息子があり、父の言うことも母の言うことも聞かず、戒めても聞き従わないならば、両親は彼を取り押さえ、その地域の城門にいる町の長老のもとに突き出して、町の長老に、『わたしたちのこの息子はわがままで、反抗し、わたしたちの言うことを聞きません。放蕩にふけり、大酒飲みです』と言いなさい。
町の住民は皆で石を投げつけて彼を殺す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。全イスラエルはこのことを聞いて、恐れを抱くであろう。」
けれど、親の方は、どうでしょうか。親が子どもに対して、責任を自覚しているでしょうか。また子どもの前で、よく思われたいという助平根性があって、子どもからきらわれたくないとして、叱責を控えていないでしょうか。あるいは、親がそれこそ、子どもじみて、かわいそうとして、諭さない。それは、根本的に何に価値があり、永遠のことが分かっていないことです。そして神様とか、絶対とかが、分からないでいる親です。手術しなければ助からない時に、かわいそうだから、手術をしないでしょうか。
むしろ、親ならば、子どもに対して、親自身が、生活を通して、神様に御心を祈り求め、神様の御心のままに聴き従って行く姿を生き様として見せることが、子どもの信仰を導く最大の要素ではないでしょうか。神様を恐れ敬い、常に神様ありとして、生かされ生きることが出来ますように。
けれど、もう一面のことも忘れてはなりませ。熱心な諭しと、懲罰を受けた子が、必ずしも、知恵ある者となるわけではないとも言われます。人間を根本的に造る変えることが出来るのは、神様だけです。人は、植える働きや、水を注ぐ働きを、主から委ねられていますが、成長させてくださるのは、神様です。
結
神様が、聖書を通して教えておられる事柄に従うことは、真に自分を守ることです。従わないことは、自分を破壊することになります。怠惰を戒め、諭しと懲らしめを重んじ、弱者を憐れむことが、主にあって大切に出来ますように。
主の御心に勤勉となり、諭しと懲らしめを素直に受け留め、弱者を憐れむ生活を、ご聖霊の助けを受けて、実践して行きませんか。お祈り致します。
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