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2024.11.13箴言 31 章 20~31 節 「主を恐れ敬う 貴い妻その二」

牧師 松矢龍造 

今日の御言葉をもって、箴言の連続講解を終えます。箴言は、どのように神様から知恵を得 て、良い決断をなし、神様の示される理想の生活に向かって生きるか、それを示す知恵の書で す。それゆえ知識の実用的な書簡です。 この箴言は、「主を恐れ敬え」という命令から始まり、この命令を守る女性のことで終えます。 最後は、理想の女性像となっていますが、見方を変えれば、神様の知恵に生かされ生きる人間の 理想像とも言えます。 今日の御言葉において、熱心な働き、神様を恐れ敬い、配偶者への敬意、先への見通し、人々 を励まし、他者を配慮し、貧しい人たちへ関心を示し、金銭を扱う上での知恵が記されていま す。これらの特質が、神様を、恐れ敬うことと一つとなる時、喜びと成功、栄誉と値打ちをもた らしてゆきます。

箴言は、31 章からなりますが、毎日 1 章ずつ読めば、一か月に一回、箴言を通読することがで きます。それは、御言葉の生活化には時間がかかり、何度も繰り返し、御言葉に触れ続ける必要 があるからです。キム・ヒョンジュンという方が、「人生の意味を回復する信仰」の中で「新しい 人生を開く信仰」について次のように言われていました。 「信仰は、今の状況において、全く光が見えないほど、真っ暗でも、現実を超えて、神様の視 点から人生を見つめ、生きていくことができる力です。このような信仰を持つためには、自分自 身が、罪によって死ぬしかない存在、全く良いもののない罪人であることを悟る必要がありま す。ところが、私たちは、価値観が変わったとしても、生きていく世界は、堕落した姿そのまま です。 この世では、神様を礼拝し、みことばどおりに生きていこうとする心が、自然と湧くことはあ りません。この世で生きていると、利己的で自己中心的な考えが、絶えず入ってくるからです。 自己中心的な考えが強い世の中は、嘘と不信が満ちあふれるしかありません。 そのような混乱した世界で、私たちがつかむべき真理は、明らかです。それは、神様は生きて おられ、私を愛してくださり、独り子イエス・キリストを通して、救ってくださったということ です。その信仰を通して、変えられた私が、築いていく人生が、『信仰の人生』なのです。 自然の摂理どおりに寝て起きて、翌朝を迎えることは、新しい人生とは言いません。生き方が 以前とは違ってこそ、新しい人生を始めることができるのです。信仰生活の究極的な目標は、人 生の焦点を、神の国に合わせ、この地で、イエス様の似姿に、変えられていくことなのです。」 それ故に、イエス様の生き方を、絶えず、聖書の御言葉から、日々学び続け、箴言の勧める生 き方に、日々触れ続ける必要があります。

前回もお伝えしまたが、この最後の 22 節は、ヘブライ語のアルファベット歌として、各節の冒 頭がヘブライ語のアルファベットに沿って、展開されています。日本語では、いろは歌と言われ るでしょうか。しかも主を恐れ敬うことの幸いを歌った、アルファベット歌です。 彼女は、悩んでいる人を助け、夫を支え、気品があり、知恵深く、優しい人柄であり、彼女は 家族の一人ひとりに気を配っているので、子どもや夫から称賛されます。彼女は、キリスト教的 家庭の主婦の鏡です。いわば、最も高尚な信仰の歩みを、最も身近な家事において行う、真の良 妻賢母の手本です。 けれど、「金のわらじをはいて」と良妻賢母のたとえがありますが、賢い女性は多くないとも言 2 えます。箴言には、極端な女性像が記されています。それは、遊女や家庭を破壊する女と、賢い 母の教えと、両方が出てきます。そしてどちらも、家庭や社会に対して、大きな影響力を持って います。良くも悪くも、大きな影響力を持つ存在、それが女性の存在です。 それでは 20 節からもう一度。「貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。」妻は、収益に 心を用い、勤勉に働きます。それは自分の利益を求めることからではなく、主を恐れ敬い、正し く家を治め、仕事を管理し、使命に励む心から出てきます。ですから、悩んでいる人、貧しい人 には、惜しみなく援助の手を差し伸べます。 21 節 22 節「雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。敷物を自分の ために織り、麻と紫の衣を着ている。」また 24 節「彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡 す」。22 節で、「麻」と訳されているものはシューシュという言葉で、エジプト製のものを指しま す。また「紫の衣」とありますが、その染料は、地中海沿岸で採れるアッキ貝の喉の腺にある液 体から作られ、非常に高価な染料でした。ですから麻も紫の衣も、高級品です。これらは、彼女 の働きの成功と気品を示しています。 23 節「夫は名を知られた人で、その地の長老らと城門で座に着いている。」当時、城門では、 裁判が開かれたり、町の行政上の重要な決定がなされたりしました。ですから、彼女の夫は、町 の指導者であったことが分かります。彼女が夫を支えるので、夫は社会で活躍できることを示し ています。 25 節 26 節「力と気品をまとい、未来にほほえみかける。口を開いて知恵の言葉を語り、慈し みの教えをその舌にのせる。」彼女は、神様から来る知恵に従い、その御言葉を語ります。それ は、彼女の気品と、未来に対して希望を語ることにつながります。これらは、信心深いことから 出るものであり、無利己の精神や、家庭における優しさと真実、声が親切なものとなってゆきま す。 27 節と 28 節「一族の様子によく目を配り、怠惰のパンを食べることはない。息子らは立って 彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。」加えて 31 節「彼女にその手の実りを報い よ。その業を町の城門でたたえよ」。夫の仕事は、公のものですが、家庭での妻の仕事も、等しく 重要で、称賛と敬意をもたらします。 29 節「『有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる」と。」リビングライフ訳は、 すこしくだけた表現ですが、「君は、ほんとうにすばらしいね。世界中探しても、君ほどの女性は いないよ」と訳しています。 「有能な」と訳された言葉は、「力」「強さ」「能力」「効果的な働き」「富」「財産」「軍勢」とい う意味をもった言葉です。ですから、多角的な力ある存在ということです。 30 節「あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。」女性にとっ て、大切なことは、外見的な美よりも、人柄と働きぶりであると言っています。 そして信仰と愛の業に優れている人は、主を恐れ敬う女性として称賛され、その報いが与えられ ると教えています。現代の日本のクリスチャン女性にとって、多くの教訓と示唆に満ちていま す。 神様を恐れ敬う女性の美しさは、表面的なものではなく、内面から出て来ます。神様を恐れ敬 う女性は、社会からも、尊敬と栄誉を受ける、ふさわしいです。まさに信仰に生きる妻は、本当 に素晴らしい妻です。 以上、もしキッチンや居間に、箇条書きにして貼るなら、次のようになるでしょう。その 1、 有能な女性は、主を恐れ敬う女性です。その 2、有能な女性は、弱さを持っている人を憐れみま す。その 3、有能な女性は、家族を常に支えます。その 4、有能な女性は、夫が社会で活躍できる ようにします。その 5、有能な女性は、経済的にも家庭を支えます。その 6、有能な女性は、気品 をまとい、未来を先取ります。その 7、有能な女性は、知恵と慈しみの教えをなし、人の悩みと 苦しみを癒します。その 8、有能な女性は、健康で勤勉な働き手です。その 9、有能な女性は、息 3 子や夫から、称えられます。その 10、有能な女性は、社会でも、称えられます。 しかしこれらは、全て、ご聖霊に満たされ、油を注がれ、知恵と力と愛を頂いてこそ、実現し てゆきます。神様を抜きにして、真に幸いな人生、幸福な家庭、正しい人生、正しい社会はあり ません。主を恐れ敬う。これが知恵の初めであり、終わりです。主を恐れ敬うことの幸いを確信 し、この道を、ご聖霊の助けを祈り求めて、歩んで行きませんか。

このような理想的で、有能な人になるのは、いきなりなれるものではありません。しかし確実 に成長する為には、絶えず神様と共に歩むことが大切となります。最後に、イ・ギュヒョンとい う方の「回復の過程」の中から「永遠のものを追い求める人生」という内容を受け留めます。 「人がきよくなるためには、多くの時間が必要です。毎日、静思の時・QT をして、弟子訓練を 受けても、人が短時間で変わることはありません。信仰と人格が、すばらしい人のそばにいて も、すぐにその人に似るわけではありません。しかし、世のものに心を奪われて、人格が崩れる のには、それほど時間がかかりません。 真面目そうに見える人でも、あるきっかけで堕落し始めると、簡単に崩れてしまいます。人に は堕落の属性があるからです。それは、アダム以降に出来た罪の性質です。罪性があることを証 明するかのように、私たちは悪いことを簡単に学びます。一生懸命学ぼうと計画せず、特に努力 しなくても、簡単に罪を犯します。いつでも、罪を犯す準備ができているかのようです。 特に、現代の社会は、何が正しく、何が罪であるかが、はっきりと分からなくなってしまって います。物質的には豊かですが、精神的には、荒廃した時代です。この空しい世で生き抜くため には、神様を、心にお迎えしなければなりません。神様だけが、祝福を与えてくださいます。そ れを忘れて、ほかのところに祝福を求めている人は、すべての良きものから遠ざかります。乏し さを経験することになり、祝福の源である神様から受けた、すべてのものを失ってしまいます。 罪の誘惑に打ち勝つためには、永遠のものを追い求めなければなりません。放蕩して生きるな ら、あっという間に時間が過ぎてしまいます。たった一度の人生を浪費してしまいます。祝福の 源であり、いのちの源である神様とともにいることが、最も幸いな人生なのです。」 神様に愛されている皆さん、祝福の源であり、いのちの源なる神様と絶えず共に歩み、ご聖霊 によって、主を恐れ敬う生活をしてゆきませんか。お祈り致します。

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