牧師 松矢龍造
起
人は、死期が近づいた時、何を遺言として遺すでしょうか。それは、自らの生涯で体験したこと や教訓となったことに基づいて、後の子孫に対しての言葉となるのではないでしょうか。それと同 時に、死に様は、生き様の反映です。私たちが、今日生きている生き様が、死に様となって行きま す。 ダビデは、死期が近づいた時、王位を継ぐソロモンに対して、遺言を遺しました。新共同訳では、 「ソロモンを戒めた」と訳しています。「戒める」と訳された言葉は、原文では「命じる」という 意味でもあります。ですから、ダビデは、単に言葉を遺したというよりも、自分の体験から、強い 思いを持って、戒めた、いや命じたのです。それは、モーセの律法を守れということです。それが、 子孫に至っても、イスラエルの王座につく者が断たれることがない為としています。
承
同じように、死期が近づいた時、モーセが、後継者であるヨシュアに遺した言葉は「主にあって 強くあれ、雄々しくあれ」でした。申命記 31 章 6 節「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならな い。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見 放すことも、見捨てられることもない。」 また新約時代では使徒パウロが、愛弟子テモテに遺した言葉は、「主イエス様の恵みによって強 くなりなさい」でした。テモテへの手紙二 2 章 1 節「そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・ イエスにおける恵みによって強くなりなさい。」 このモーセと使徒パウロの遺言と、ダビデの遺言を比べた際に、気になることが一つあります。 それは、ダビデは、王座が長く続くために、モーセの律法を守れと言いましたが、その前に、主を 恐れ敬うことを命じていないということです。 ダビデの生涯は、従順な時もあれば、失敗と罪を犯したことも何度もありました。ですから、主 の御前に悔い改めることと、主を礼拝する生活を第一にせよと遺すべきでした。ですから、信仰の 継承という面で、弱かったと言わざるをえません。それが、王国を確立する面で、後に弱さとなっ て残ります。私たちも、信仰の生き様という、信仰の遺産を、どれだけ遺せているかが、問われる 思いです。
転
ダビデの遺言は、加えて、3 人の人物に及びます。それが、ソロモンが王国を確立する上で、重 要と考えたからでしょう。第一の人物は、イスラエルの司令官ヨアブです。彼は、ダビデが命じた 司令官を二人、自分の保身の為に殺害しました。すなわち北イスラエルの司令官とされたアブネル とアマサです。 けれど、ダビデは、王国の政治的、軍事的な面で、それぞれの時に、公にヨアブを罰することは 出来ませんでした。ヨアブは、ある面で、ダビデの勝利に貢献しました。けれど、最後に、アドニ ヤの反乱に加わって、ソロモンに敵対しようとしました。彼は、勝利の為に、手段を選ばない人物 でした。 これに対して、二人目の人物であるバルジライは、アドニヤの謀反の時も、ダビデから離れるこ 2 とはありませんでした。バルジライは、神様に忠実であり、神様の基準に従って生きる人物でした。 私利私欲に走ることなく、ダビデから名誉を受ける際にも、息子にと譲るほどでした。そして実際 に、バルジライの息子は、ダビデ王の食卓に陪席するという特権に預かりました。 私たちは、あくまでも、主を恐れ敬い、主の御心に沿って歩み、私利私欲に走ることなく、主の 栄光を表す生き方となれるように、御聖霊の助けを受けて、歩めますように。その報いは、主から 来ます。コリントの信徒への手紙一 10 章 31 節「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、 何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 続いての人物は、ダビデが遺した 3 人の人物ではありませんが、ダビデの四男であるアドニヤの ことが記されています。彼は、上の三人の兄たちが死ぬと、自分が最年長の息子だとして、王位の 継承を狙います。そして自分の地位の確立を同じく求めていた祭司アビアタルと司令官ヨアブを抱 き込み、神様が次期王に選んだソロモンに反逆します。 しかし失敗に終わると、その時は静かに引き下がります。しかしその後も、反省せず、王位の継 承をうかがいます。そしてダビデの側女の一人アビシャグを、ソロモンの母であるバト・シェバを 通じて、妻とすることを求めました。王位を継いだ王は、前の王の後宮をも引き継ぐと考えられま した。かつて反乱を起こした三男アブサロムも、ダビデの後宮を手にして、民衆に王位を継いだと 見せつけました。 アドニヤが、ソロモンの母であるバト・シェバを通して頼むことも、計算してのことです。バト・ シェバがソロモン王の所に来たとき、彼女は、王の右側に座りました。古代中近東では、王の右の 座は、栄誉ある場所であり、王の母である太后は、敬意を払う存在でした。ですから、自分がアビ シャグを妻にしたいという思いを、ソロモン王が承認しやすいと思ったのでしょう。 アビシャグという女性は、ダビデが晩年、体が冷えてしまっていることを心配した側近が、ダビ デの世話をする美しい処女の娘を、ダビデの側女としました。しかしダビデは、彼女を知ることな く、アビシャグは、処女のままでした。そしてダビデの死後も、後宮に留まっていたのでしょう。 ソロモンは、母から、アドニヤが、アビシャグを妻にしたいということを聴いて、アドニヤが、 なお王位につくことを目論んでいることを知ります。それは母であるバト・シェバに告げた言葉に よっても分かります。22 節~24 節「ソロモンは母に答えた。『どうしてアドニヤのためにシュネ ムの女アビシャグを願うのですか。彼はわたしの兄なのですから、彼のために王位も願ってはいか がですか。祭司アビアタルのためにも、ツェルヤの子ヨアブのためにもそうなさってはいかがです か。』 ソロモン王は主にかけてこう誓った。『アドニヤがこのような要求をしてもなお生きているなら、 神が幾重にもわたしを罰してくださるように。わたしを揺るぎないものとして、父ダビデの王座に つかせ、お約束どおりわたしのために家を興された主は生きておられる。アドニヤは今日死なねば ならない。』」 人は、悔い改めの猶予が与えられたのに、なおも心をかたくなにしているなら、救いの機会を失 ってしまいます。ルカによる福音書 13 章 6~9 節「そして、イエスは次のたとえを話された。『あ る人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁 に言った。「もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがな い。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。」 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やし をやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒し てください。』」 3 さらにソロモンは、兄アドニヤの謀反に加担した祭司アビアタルを廃位させます。アビアタルの 曽祖父は、祭司エリですが、エリの一族は、祭司としての地位を失うことが預言されていました。 サムエル記上 2 章 35 節 36 節「あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あな たにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ。わたしはわたしの心、わたしの望みのままに 事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前 を歩む。」 ソロモンは、アビアタルが主の祭司であることをやめさせ、ツァドクを祭司にします。また司令 官をヨアブから、ベナヤに代えます。ベナヤは、アドニヤの反乱の際にも、クレタ人とベレティ人 ら外国人傭兵からなるダビデの親衛隊の司令官としてダビデとソロモンを守りました。そしてダビ デを呪ったシムイは、ソロモンとの約束を破り、エルサレムから外に出ではならないとの約束に反 して、処刑されました。 人は皆、自分の蒔いたものを刈り取ります。ガラテヤの信徒への手紙 6 章 7 節「思い違いをし てはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り 取ることになるのです。」それは、私たちも同じです。
結
こうして、イスラエル王国は、ソロモンの手によって揺るぎないものとなりました。しかしソロ モンとその子孫は、その後、モーセの律法を守らず、地上のイスラエル王国と、政治的なダビデ王 朝は、崩壊してゆきます。ですから、ダビデの末から誕生するメシア・救い主イエス・キリストに よって、神の国が揺るぎないものとなることを待たなければなりません。 どの国も、どの人も、モーセの律法、すなわち神様とその御言葉を、行わなければ、砂の上に建 てた家となります。洪水が来て、滅んで行きます。どの時代の人々も、罪を悔い改めて、主のもと に立ち返り、主の御言葉をご聖霊によって守り行うなら、人生の洪水の中でも、永遠に続きます。 マタイによる福音書 7 章 24~27 節「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の 上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、 倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は 皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いか かると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」 神様に愛されている皆さん。御聖霊の助けを祈り求め、悔い改めて、主の御心を行い、礼拝生活 を続けて行くことの大切さを、子孫と隣人に伝えて行く歩みとなって行きませんか。 お祈り致します
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