牧師 松矢龍造
前半
3 章 16-17 節「キリストの言葉と感謝と讃美」御言葉と感謝と讃美とは、一方では、教
会という共同体の行為である礼拝を意味します。また他方においては、日常のあらゆる面と活動において、キリストをあがめることを意味します。何を話し、 何を行うか。それは主イエスの名によって行うことだと言われています。
主イエス様の名によって行う。それは一つには、主イエス様の代理人として行動することで
す。二つ目に、主イエス様のご人格により頼んで行うことです。三つ目に、主イエス様によって生かされている者らしくするということです。四つ目に、キリストの臨在の下で行いなさいということです。五つ目に、キリストの為に行うことです。六つ目に、主イエス様と共に父なる神様の前に出て、行うことです。ですから、今語ろうとしていることが、イエス様の御名を唱えると同じ口で、そのことを話せるだろうか。今行おうとしていることが、神様に感謝出来るだろ
うか。今なそうとしていることが、キリストの為になるだろうか。たえず吟味する必要があります。感謝の気持ちは、本来、私自身は、神様から招かれる資格がない罪人であるのに、こんな罪人である私が招かれていることからきます。罪人である私が、ただ主の恵みによって招かれている。まさに感謝の他、何もでもありません。
後半・3 章 18-19 節 「 主を信じる者にふさわしく」異端、異教、迫害の中で、クリスチャン
になった人々は、倫理面でも良き香りを放つことは、キリストを証しする者として大切なことです。そして倫理の中の大切な一つは、家庭における人間関係です。神様は、もともと家庭を信仰生活における、非常に重要な力であるとみなしています。さらに「揺りかごを揺する手が、世界を治める」と言われる程に、家庭は世界を治める人や、次世代を担う子どもたちを養う重要な場所です。信仰の家族の一員として、ふさわしい行動のあり方を、使徒パウロは展開しています。
賢いキリストを崇める夫は、リーダーシップの役割を濫用しません。また キリストを崇める賢い妻は、夫のリーダーシップをひそかに傷つけようと試みません。「キリストは、この家庭のかしら、食卓の見えざるホスト、すべての会話を静かに聞いていらっしゃるお方。」そのような有名な家庭における格言があります。夫と妻との関係は、主従でも、隷属でも、支配でもありません。主にあって協同、共同です。家庭というものに注意が向けられなくなるにつれて、私たちの文明までもが、急速に衰退してゆきます。信仰の家族の一員として、主を信じる者に、ふさわしく、 夫と妻の関係がなりますように。教会として 、 どの家 庭に対しても、祈り、証しし、御言葉の原則を勧めることが出来ますように。
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